平成171017

選手団長 梅原 弘史

期間:平成17105日(水)〜平成171014日(金)

行事:アジア地域コーチセミナー(IBU主催)及びアジアサマーバイアスロン選手権2005

場所:タシケント(ウズベキスタン共和国)

構成:梅原弘史(団長)、風間淳(監督)、角雄治(選手)、向井文子(選手) 以上4

参加:ウズベキスタン、キルギスタン、カザフスタン、ロシア、ラトビア、トルコ、韓国、

日本 以上8カ国 

1.派遣概要

現地にて、7日から11日までIBU主催(IOC支援事業)によるアジア地域対象のコーチセミナー、また、11日から15日までアジアサマーバイアスロン選手権が開催され、日本選手団として4名が参加した。当初はセミナーの開始が6日の予定であったことや直行便の時程により、5日夜に成田国際空港を出発し、現地時間の6日早朝にタシケント国際空港に到着した。大会については、12日のスプリント競技、13日のパシュート競技に参加した。15日のマススタートについては出場を見合わせ、13日の夜にタシケントを発ち、14日の早朝に帰国した。

 

2.選手選考経緯

 大会に向けては、若手選手を対象に9月上旬に選考会を行い、陸上自衛隊冬季戦技教育隊所属の角雄治、向井文子の2名を内定した。

 

3.アジア地域コーチセミナー概要

107日(金):

 冒頭に大会組織委員会のAbdulaziz Abdukakharow氏より歓迎の辞が述べられた。引き続きセミナーが開始され、Ubaldo Pruker氏よりIBUの組織概要、Development Programなどの内容について、Kalju Valgus氏よりバイアスロン競技の概要、歴史などの内容についてプレゼンが行われた。特に前者においては、バイアスロン競技の発展に向けては、このようなセミナー等の活動を通じて、欧州のみならずアジアや南米へ競技の裾野を広げていくことの重要性が強調された。

108日(土):

 Ubaldo Pruker氏よりIOCNOCIBUNFなど、オリンピックに関する各組織の役割などについてプレゼンが行われた。それぞれの役割に応じた連携の重要性、それぞれが活動を高めることで競技全体の底上げがなされることや、オリンピック競技の見直しなども検討される中、多国の参加がIOCに対するバイアスロンのプレゼンスを高め、発言力を向上につながること(例;トリノオリンピックにおけるマススタートの実施など)が述べられた。また、Vladimir Pilberg氏より、IBUルールブックに基づき、競技ルール等に関する説明が行われた。

 また、Gennadiy Celyubanov氏より、射撃トレーニングに関するプレゼンが行われた。日々のDry-shooting(いわゆる空撃ちによるポジション確認)の重要性、射撃姿勢の重要性(特に初期段階においてはトップ選手の真似から入るのではなく、一つ一つの技術動作をしっかり磨いていくべきで、その集大成としての姿勢をしっかりと身につけるべきことなど)、メンタルを意識したトレーニングの組み立ての必要性(日々の射撃練習においても競技的な心理状況を作りだすメニューの工夫や、選手がイメージをきちんと描いて射撃できているかしっかり把握すべきこと)などについて述べられた。

109日(日):

 Vadim Melikhov氏より競技場のデザインなどの競技運営に関する内容についてのプレゼンの後、Gennadiy Celyubanov氏より、バイアスロントレーニングに関して、主にロシアチームの事例を用いながらプレゼンが行われた。後者については、中国の近年の躍進に係る言及や、データグラフを多数用いながら、トップチームに関する分析がなされた。

 午後は競技場(Chirchik)に移動し、大会の射撃トレーニングを兼ね、実地での教習が行われた。選手はDry-shootingや実射を通じて、Gennadiy Celyubanov氏、Ubaldo Pruker氏、Janes Vodicar氏などによる指導を受けた。

1010日(月)

 競技場での練習から帰宿後に、Nikolay Zagorskiy氏より、ロシアの教本等を参考にトレーニングプランに関するプレゼンが行われた。

1011日(火)

 競技場での公開練習から帰宿後に、ドクターのHannu Litmanen氏よりIBUアンチドーピングルールに関するプレゼンが行われた。

 図:セミナーの様子(於ポイタフトホテル)

 図:競技場における射撃講習の様子

 図:セミナー参加者の集合写真

 

4.アジアサマーバイアスロン選手権概要

1010日(月)以前:

 7日、8日はセミナー終了後(16:00頃から)に近郊のスポーツクラブ施設の陸上競技場のトラックが開放されたため、トラックでのランニングを主に、それぞれ1時間半ほどの軽い調整を行った。

 9日は、午後より、セミナーの実地教習を兼ねて試合会場での射撃トレーニングを実施した。また、ランニングコースを実走し、コース状況等の確認を行った。夕食前に、全選手を対象としてドーピングチェックが実施された。

 10日は、午前より、試合会場における練習時間が設定された。角選手は体調不良のため、向井選手のみ参加した。

1011日(火):

 午前より、公開練習が行われた。日本選手団は角選手、向井選手とも体調不良であり、試合会場へバス1時間弱の行程等の悪影響も懸念されたため、参加は見送ることとした。梅原がAppealed Jury、風間監督がCompetition Juryとなった。また、夕食時にポイタフトホテルにてオープニングセレモニーが開催された。

1012日(水):

 スプリント競技(男子4km、女子3km)が開催された。ロシア選手の射撃の精度が高い印象はあったが、全体的に射撃のレベルはそう高くはなく、走力が勝敗の鍵となる展開であった。角選手は体調的に万全でないなか健闘したが、走・射ともに満足いく状況ではなく、上位進出はならなかった(ジュニア6位)。向井選手も体調が万全でないなか力走を見せたが、惜しくも上位3名には入れなかった(シニア4位)。

1013日(木):

 パシュート競技(男子6km、女子4km)が開催された。2選手とも体調的には幾分回復しており健闘したが、前日のタイムとの関係から、大幅な順位の変動はなかった(ジュニア7位、シニア4位)。

 図:角選手の射撃

 図:向井選手の射撃

 

5.生活一般概要

タシケントへはウズベキスタン航空の直行便が週に2便出ており、日本からは約7時間半の行程である。組織委員会のSergey Serebryakov氏のサポートにより、出入国の手続きは円滑に完了することができた。競技銃については、大会期間中は組織委員会の管理下に置かれ、競技場(Chirchik)の管理庫に一括保管された。

宿泊先はタシケント市内中心部にあるポイタフトホテルであり、IBUによりそれぞれ個室が用意された(IBUより旅費の一部及びセミナー期間中の宿泊費が補助された)。滞在初日に現地日本大使館を訪問し、挨拶を行うとともに書記官より国情及び注意事項等を伺った。競技場への移動はバスにパトカーの先導がつく(信号・踏切は無視して通過)など、テロを警戒してか厳重な警備体制が組まれている様子であった。食事は基本的に3食ともホテルのレストランで供された。羊肉と香草を基本とする料理であったが、日本の4名は滞在期間を通じて腹痛・下痢が治まらず、健康管理が今回の最大の懸念事項であった。特に2選手は初の海外遠征だったこともあり、一時発熱等もみられた。試合期には日本料理店に通うなどし、何とか心身ともに回復を図ることができた。

天候は、後半に一時降水が懸念されたが、終始崩れることはなく晴天であった。気候は東京とほぼ同様で、幾分湿度が低い印象であった。

組織委員会の方々には親切・誠実にサポートしていただき非常に助かった。IBU役員や他国の選手団とも友好的に接することができ、期間中は特に問題もなく日程を終えることができた。

 図:選手権オープニングセレモニーの様子

 

6.所感

 大会に関しては、選手の健康管理が十分に行き届かず、パフォーマンスを十分に発揮できなかったのは、深く反省するところである。

 サマーバイアスロンは基本的にはトレーニングとしての位置づけであるが、小規模な国際大会とはいえ、若い選手たちには学ぶべきことも多いように思う。結果に一喜一憂する必要はなかろうが、強い意識を持って試合に挑むことが何より重要であり、また、今後の選手生活に向けて、自らのパフォーマンスを国際的環境の中でしっかりと認識することは重要な意味を持つのではなかろうかと思う。2選手の今後の活躍に期待したい。

また、競技の発展のためには、現在のトップ層の更なる伸長とともに、多様な人間の参加による競技の裾野の拡大、社会へのアピールなども重要な要素であろう。このようなセミナーに関しては、国際的にももちろん重要であるが、日本国内においても今後の発展の重要な鍵になると思われ、各県連に最新の情報を提供するなど、技術レベルの底上げに向けて効果的に実施される必要がある。

 図:日本選手団の集合写真

 

以上

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