本城先生を偲ぶ会

              
            







 「しのぶ会」の様子を早くお知らせしたくて、大急ぎでホームページを作りアップしましたが、当日撮影した写真はとても載せきれない程数多く有ります。岡田君がパワーポイントで作成してくれたスライドショーも、スライドの写真に写っているメンバーに、スクリーンを見ながら説明をお願いしました。この両方を御紹介出来るよう、第2部を作成しました。








本城さんを偲んで  (10/20 中野先輩から次の様なコメントがメールで届きました。)

 「本城さんを偲ぶ会」に参加された多くの方が本城さんにバスケットの指導を受けられたのですが、私は昭和32年の卒業ですから、昭和31年に卒業された本城さんとは一緒にバスケットをやった仲間ということになります。
 「偲ぶ会」で長村さんが述べていましたが、昭和30年頃、バスケット部としては初めて学校を離れ、私の生まれ故郷美山町で合宿をやりました。戦後もようやく納まりかけた頃で、山奥のことではあり、食料もあまりなく、参加された方々には大変ご不便をお掛けしました。まあ何とか茂籠君(現姓木村)の盲腸以外は大きな怪我も無く合宿を終えることができたのは誠に幸いなことでした。
  合宿中のある日バスケットの練習を終えた後、本城さんは体育館にあったバレーボールで、サーブを打ち始めました。高校時代にはバレーボールをやっていて、滋賀県を代表するような名選手であったと聞いていましたので、その素晴らしいサーブに皆んな見とれていました。するとそのうちの1本がどうした弾みか体育館の天井に向かって飛んで行きました。そしてボールの当った天井に穴があいてしまったのです。その威力のすごさにただただ感心させられました。それだけのバレーボールの力を持ちながら、大学に入ると本城さんは惜しげもなくバレーボールからバスケットに鞍替えしてしまいました。今考えると、この鞍替えは本城さんのスポーツ人生を左右する岐路であったような気がします。
  私が2回生になったとき、それまでキャプテンをやっておられた4回生の竹内さんが卒業されました。キャプテンは上級生がやられるものと思っていたのですが、私にやれとのことです。力も無いので何度も断ったのですが、上級生は専門に入るのでそちらが忙しくなるからとのことで押しきられてしまいました。その後3回生になっても、4回生になってもキャプテンの引きうけ手が無く、結局3年間キャプテンを勤めるはめになりました。
 キャプテンをやっていてつくづく感じたことは、バスケットのような団体競技はどうしてもコーチが必要だということです。長村さんにはいろいろ手を尽くしていただいたのですが、残念ながら私の在学中にはコーチを見つけることはできず、大きな宿題を残して卒業することになりました。卒業後2年目であったかと思いますが、本城さんがバスケット部の面倒を見てくださることになったと聞及んで、天にも昇る想いでした。本城さんもコーチの必要性を百も承知しておられて、決心していただいたのでしょう。
  ご存知のように府立大学のバスケット部員は、高校で本格的にバスケットをやった者はほんの僅かで、ほとんどが初心者です。基本から手取り足取り教えて、試合ができるようになったら卒業してしまうのが普通です。本城さんは毎年毎年これを繰り返してなんと40年間コーチを続けていただいたのですから、なんとお礼を言ったらよいやら言葉もありません。
  「偲ぶ会」で本城さんの娘さんの隣に座っていたので、「ご家族にも何かとご迷惑をお掛けしたのでしょうね」とお聞きしましたら、「随分手伝わされました」とのことでした。奥さんのご理解無しには本城さんのコーチ業は成り立たなかったことは明らかです。奥さんはじめ娘さん方にも厚くお礼を申し上げます。
  写真の説明ですが、昭和30年頃のものと思われます。数えてみれば半世紀前になります。前列右:丸君、左:岸本さん、中腰:本城さん、後列右から、中村さん(現姓久保田)、西田さん(現姓徳丸)、武居さん(現姓JUNKO NOWACK)、それに中野です。
  岸本さんと本城さんとは大の仲良しで、岸本さんが亡くなった時、本城さんは「あいつは叩いても死なないと思っていたのに」といって残念がっておられました。岸本さんと同じようにタフな本城さんが、日本人の平均寿命よりも大分早く亡くなられたことは、また大変残念でなりません。この写真は古い体育館の横で撮影したものですが、この前に食堂がありました。我々は四六時中、練習があっても無くてもこの周辺にごろごろしていました。在学4年間で一番多くいたのは、教室でも、研究室でもなく、多分この辺りであったかと思います。





















 大きな体からは想像もつかないのですが、この三連の折り鶴は若原先輩が会場で折って、配られたものです。折り方も何通りもあって、何種類か目の前で折って頂きました。













大先輩 韋駄天の如く 駆け抜けて
恩ひとつ 返せぬままの 走馬灯
(西田 睦郎OB)

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