小西欽一郎先輩の葬儀


 「小西欽 (ニシ)」。この名前を段々と語尾を上げて呼ばれたのは、「高宮のダンナ」でした。4月に亡くなられた「ダンナ」の後を追うように、「コニシキン」先輩まで旅立たれるとは、夢にも思っておりませんでした。

 第一報は弥栄町役場に勤務し、「丹後あじわいの郷」設立時には小西先輩の元で一緒に仕事をされた、吉岡正俊さんから11/27にメールで届きました。私とはスキー連盟の役員仲間なのですが、私が小西さんの後輩に当たることを話したことが有り、直ぐに連絡して頂けました。

 葬儀に際しては供花の手配も御願い致しましたが、その折り頼んでいた葬儀の模様の写真が葬儀屋さんに有ることが判り、その「眞心葬祭」さんのご厚意でホームページにお借りできるよう手配もして頂けました。早速此処に掲載させて頂き、謹んで「コニシキン」先輩のご冥福をお祈り申し上げます。



以下は、吉岡さんからのメールを転載したものです。

通夜  11/29(土)午後6時〜   告別式 11/30(日)午前9時30分〜10時30分(出棺)
場所  京都府竹野郡丹後町のご自宅でした。
     詳しい住所や電話番号が必要な方は、平井までご連絡下さい。
喪主  小西浩一朗氏(長男)
参考  元京都府峰山地方振興局長(平成7年4月〜平成9年3月)
 
  府職員時代は、種畜牧場を振り出しに、農林サイドを歩かれ、京都府の農林水産業の振興に尽くされたとお聞きしました。退職後、(財)丹後あじわいの郷常務理事として着任。開園準備と開園1年目の多忙時に在籍され、事業の進捗に貢献されました。
  内臓に持病があり、療養しながらの執務でした。最近、急に入院されたようでしたが、それまでは特に悪いという話はお聞きしませんでした。11/27、午後4時5分、ご逝去されました。

 
  振興局長まで勤めた人の割りに、気さくで、大雑把、気取ることなく、しかし決して軽くない、そんな人でした。やはり人望と言いますか、部下からは慕われる方で利害関係が交錯していたあじわいの郷の設立時、黎明時に、多くの人が小西さんの人柄に救われました。人の弱さや痛みがわかる方でした。

 一方で、「あじわいの郷」建設時には、現場の責任者とされつつ、建設、運営にかかる権限は、府庁、前職場の振興局の現役職員の立場が強く、運営の三セク会社、地元各町、そしてJA、漁連など関係団体の間に入っての調整と、大変な立場で、良く府庁に文句を言っておられました。現場主義の気骨がある方で、私は好きな上司でした。

  写真(平井からメールに添付して送った、小西さんが合宿に来られた昭和40年頃の物です)は、そんな小西さんの雰囲気が良く出ており、つい笑ってしまった次第です。あじわいの郷の仕事を離れ、時々気になっていましたがご無沙汰続きで、体調が悪化されたことも知らず、お見舞もできずに残念でした。

  「花輪」は、小西家の葬儀を担当する「眞心葬祭=峰山町」に、指定の表現を指示し、本日昼に発注しておきました。すでに掲示されていることと思います。

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