山田錦と花嵐                    2003年
    吉田酒造      吉田酒造:http://www11.ocn.ne.jp/~sekka/index.html
  大吟醸「花嵐」は此処、マキノ町海津「吉田酒造」で造られます。社長は私の高校時代の学級担任・吉田茂芳先生。今は退官されて社長業に専念されていますが、私らの学年が卒業すると龍谷大学に行かれ、経済学部の教授をされていました。龍谷大学では学部長もされていましたが、スキー部の部長をされていた事もあります。先年副学長を最後に家業に戻られました。
  専務の肇君は、私がマキノ中学校に講師として勤務していたときの3年生。秋は駅伝・冬はクロスカントリースキーの選手でした。授業も英語・理科・数学と受け持っていたと記憶していますので、課外スポーツのコーチとしての付き合い含めると、四六時中顔を会わせて居たことになります。
  栽培が難しいと言われる酒米の山田錦を、地元・マキノ町で作って美味しいお酒を造りたい。米作りを手伝って貰えないかと電話が有り、得意先農家である吉原紘二さんに相談。快く受けて頂き米作りが始まりました。以来、8年になります。
  栽培面積も段々と増え、今年は当初の4反半から1町2反と3倍近くになりました。それだけ「花嵐」が好評だということで、米作りにも熱が入り喜んでいます。
  海津は北陸と近畿を結ぶ大きな船着き場でした。石積みの向こうに海津大崎の桜並木が見えます。
  出来るだけ農薬に頼らないで米を作って欲しいという杜氏からの要望もあり、やはり酒米・玉栄を作って貰っている清水光男君の温湯消毒設備を借りて、種子消毒をしました。
  清水君は私の肥料商としての得意先農家。10数年前に将来を見越し、山田錦を試作した仲間でもあります。その当時に今の様な事態を予想していた訳では有りませんが、山田錦の栽培を頼まれたとき、この時の経験も有って戸惑わなくて済みました。背丈が長くて倒れやすいコシヒカリより、10pは長くなる滋賀羽二重糯と比較しても、普通に作れば山田錦は更に10p余り長くなるのです。

 塩か硫安を使い種籾を比重に依って選別します。病気の籾や稔実具合の悪い籾は軽いため、水面に浮かびます。これをすくい取り重くて沈んだ籾だけを選り分けて使います。

種籾の播種
 4月中旬に種籾を浸漬をすると、わざわざ芽出しをしなくても自然に鳩胸状態になります。
  育苗箱に80グラムの種を撒いています。吉原さんの本業は左官業。年齢的には同じ1月生まれの1つ年上で、肥料商としての付き合いも随分永くなりました。21日、左千夫を連れて行き4人で播種作業をしたのですが、午後には天気が回復するという予報が外れ、苗床に下ろす時には雨風が酷く下着までしみ通ってしまい、残念ながら写真は撮れませんでした。

苗 代
  5月1日、夕方。肥料の配達のついでに足を延ばして、苗代を見て回りました。約10日経っていますので2p程に延びた苗を確認。ほぼ生え揃っているので、これからは天候に恵まれ丈夫な苗に育つことを祈っています。
  5月9日吉原さんから、苗が4・5pに伸びたから、被覆資材のワリフを取り除きたいがと電話がありました。この写真は10日の夕方、配達の帰りに撮っものです。所々生え揃ってない部分も有りますが、まずまずでしょうか。薄蒔きをした苗は上には伸びず、葉を横に延ばして自由闊達と言う感じで育ってゆきます。
  24日の午前中、吉原さん・佐千夫の三人で耕土培養資材を散布。本来は秋の内に撒いておくべきなのですが、時間がなかったのと天候不順で、仕方なく田植え前に背負いの動力散布機での散布になりました。苗も約15pで順調に育っています。

NHKの取材
 29日に予定している田植を、NHKから取材に来るとの事で、午後から田の側道でうち合わせ。大津放送局の金谷未来子キャスターは、偶然にも吉原さんの長女「サッチャン」の同級生だとか。吉田酒造と私のホームページをプリントアウトして持参され、質問も非常に的確でサスガと感心しましたが、放送時間はわずか3分間。我々が何十年もやってきている農作業一式を、その3分間の為に1時間ほどの間に説明し、納得して貰うのは一苦労でしたが、金谷さんの方はもっと大変だったでしょう。

  苗代はJR湖西線の東側になり、線路の土盛りが格好の風除けになって、苗を育てるのには好都合な場所にあります。

田植えと取材 5月29日
  NHK大津放送局が制作する番組で、6月5日午後6時30分から、「おうみ発630」という番組で放送される予定の、山田錦の田植え風景の取材が9時から行われました。名目上、私は栽培指導者ということになっていますが、肥料撒きから田植え・稲刈りまで全部の作業を一緒に行います。1町2反の田を1台の田植機で植えるのには時間が掛かりますので、吉原さんのに加えて私も田植機を持って行きます。
  苗は20p余りに成長。根も良く張って太く力強い姿になりました。
  「周りの田には稲が植わっていますが、此処はまだ水が張ってあって・・・・」と撮影が始まりました。緊張気味の吉原さんは、いつもよりも更にゆっくりと、慎重に田植機を運転しておられました。
  田植え風景の取材が一段落。我々も自分の田に戻って田植えをしました。専務の肇君は箱洗い。
  2時間ほどで植え終わって、田植機では植わらない隅の部分で、キャスターの金谷さんが吉原さんの指導で田植えをしようという企画。この田の隅の部分はかなり深くて、慣れないと身動き出来ません。カメラマンも田の中へ。私は更に中に入って取材風景を撮影しました。これがテレビには映らない取材現場の風景です。
  生まれも育ちも地元マキノ町。それも吉田酒造から100m程も離れていない、同じ海津の出身とは言え、泥田に入るのは初めてという金谷キャスターにとって、水田に入って苗を植えるのはなかなか大変な作業でした。
  どの位置にどの位の深さで何本の苗を植えるのか。指は・手は・足の運びは・・・・。我々はこの道30年。何気なくやっていることを若い女性キャスターに、5分や10分で教えてやって貰おうと言うのですから、それらしく真似をして貰うだけでも大変でした。
  後ろに下がるときも抜けない足を吉原さんが手助け。それでもテレビの画面では「土は暖かい・・・・」と言ってくれるハズです。
 この後3人並んで水路に足を漬け、座り込んでインタビューを受けました。午前中に3反1枚、午後にもう1枚植えて3時半過ぎに終了。田植機を水洗いしトラックに積んで4時には帰途に。連休の頃に植わった右の田の生育振りとは格段の差ですが、8月下旬に出穂する山田錦の田植えとしては、この位の時期で良いかと思っています。
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