「かじや村便り」          2010年 平成22年1月
 1月に入って2度も、近江北部・西部に大雪警報が出ましたが雪は一向に降らず、鹿児島にまで雪が降っていると言うのにどうなっているのかと心配しました。幸い市内でも北部の山には降ったらしく、17日には箱館山スキー場で、第5回高島市民スキー競技会を無事に開くことが出来ました。
 直前までスキー場の積雪情報がXだったのですが、当日は降りたての新雪が1m50もあり、締まったサラサラの雪でスキーを持って来たら良かったのにと、ちょっと残念でした。5年前に膝を痛めて以来、クロカンのスキーには乗っていませんが、選手達の元気な滑りを見ていると、ちょっと血が騒ぎます。
 もっとも2年前に発足した高島市スキー協会の会長をしており、この日は大会運営の責任者なので、試合結果をコンピューターに入力し、成績表を作成して順位が確定次第賞状をプリントする役目があって、実際には呑気にスキーを楽しむ余裕は無く、終日ロッジでPC画面とにらめっこでした。
 11月が雨ばかりで、秋起こしの出来なかった田んぼは今でも稲株がそのまま。幾ら雪が少なくても春になって乾かない限り、田起こしが出来ないのでちょっと心配です。本来なら秋の内に培養資材を散布し、パワーディスクで起こしておいて、乾いたら1〜2度ロータリーやドライブハローで起こし直すのですが、このままだと稲株も稲藁も腐らないので、田植えの時に藁が浮いて始末が悪いのです。
 仮にこのままだとすると、田植えが済んでから藁が腐り始めます。堆肥になるのにも時間が掛かるうえ、稲の苗にも悪影響を及ぼすので、出来るだけ早く起こしたいのですが、全ては天気次第ですね。
 母の四十九日は暦通りだと2月8日になるので、一日前の7日の日曜日に忌明け法要をしたいところだったのですが、この日は国際農業者交流協会の東海・近畿・北陸地区営農研究会で、今年は滋賀県が当番。早くから準備を始めていて、講師に稲作の権威・元滋賀県立大学教授の橋川潮先生をお願いしている他、私も事例発表をする予定をしており、どうしようも有りませんので1月24日の三十五日で仕上げの法要を行いました。
 幸い朝から絶好の快晴。冬とは思えない程の日差しがあり、お寺にも皆でゆっくりと歩いて行ったほど。孫の裕大は読経の途中で、私達が気づかない内に一人で家に帰ったのですが、それもお天気が良ければこその話。久々に家族や近縁の親族が揃って、母も喜んでくれた事でしょう。
 昨年の夏から、我が家の家族構成はめまぐるしく変化。美代が入院した間は姉が母を預かってくれ、
その間我が家は佐千夫と2人暮らし。美代が退院して3人になり、12月に母が帰って来て4人に戻り、24日の葬儀以降は又3人になったのですが、母が家の中に居ない状況に慣れさせてくれた4ヶ月のお陰で、今でも何処か別の所に行っているような気分。もちろん折りに触れて思い出すのですが、母が亡くなった実感は非常に希薄で、寂しさは追々募るかと思うのですが、気持ちの上では何時も母が側に居るような、そんなこの頃です。
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