「かじや村便り」    http://www.eonet.ne.jp/~fshirai/    平成23年3月
 
 1日の夜、長女の佐紀子達に待望の二人目が生まれました。今度は女の子で名前は「ゆうな」。これで裕大はお兄ちゃんになったわけで、4月に小学校へ入学する裕大にとっても、大きな出来事になりました。
 裕大の時は安曇川へ帰っての出産でしたが、難産で長い時間苦しみました。今回は2人目で本人も気持ちの上で余裕があり、ゆっくりし過ぎてもう少しのんびりしていたら、車の中で生まれたと言われたとか。
 明くる日、お見舞いを兼ねて安城まで美代と出掛けましたが、佐紀子は裕大達と病院の廊下で待っていてくれ、驚くほど元気。ゆうなの方も標準より少し小さかったものの、とても元気な子供でした。美代は佐紀子が落ち着くまで、安城の家に泊まって世話をするので私だけが帰り、21日に迎えに行って来ました。余り泣くこともなく一日の殆どを寝ていて、全く手の掛からない子供だとの事です。お祭りには無理でもお盆の頃には、四人揃って帰って来られるかと楽しみにしています。
 国際農友会と(社)国際農業者交流協会の総会に出席するため、9・10の両日東京へ行ってきました。家の方では大荒れの天気で、20pあまりも雪が降ったと電話があったのに、東京は風は少し冷たかったものの素晴らしい天気。総会が終わってから、自分もまだ見に行ってないという学生時代の友人の案内で、東京スカイツリーを見に行ってきました。3月末には完工の予定とか。工事中の写真は今しか撮れないわけで、この日は609mでした。 12日、この時期には珍しい、新雪に覆われた箱館山スキー場で、高島市民スキー競技会を開催しました。前日の11日に東北南部太平洋沖地震があり、ゲレンデに登るゴンドラの中でも顔見知りの選手から、「地震が理由で、スキー大会中止は考えなかったのですか?」と問われたほど。
 野球やサッカーの試合が中止になった事は後で知りましたが、未曾有の大災害に大会の間中、役員仲間の会話は地震の話ばかりでした。高島市内では朽木中学校の体育館竣工式があり、他にも音楽祭等が重なって中学生の参加が少なくなりましたが、80名を越える選手達が元気いっぱいの滑りを見せてくれました。
 東北関東大地震には、怖くて確認する事さえも躊躇していますが、農業研修の先輩後輩が大勢被災されている事かと思っています。一夜明けて、津波被害の惨状がテレビ画面に映し出されるにつれて、船も自動車も家でさえも押し流し、何もかも押し潰してしまう津波の凄さに、言葉を失って仕舞いました。10mの高さの防潮堤を軽々と乗り越え、所によってはビルの3階・4階までも呑み込んだと聞けば、自然の持つ巨大な力の前に何と人間の無力な事かと、鬱ぎ込んでしまいます。狭い日本で、暮らしやすい平地に住まいすることが許されないのなら、取り分け我々の様な農業は職業として成り立たなくなります。非情にも被災地に、冬の嵐が戻って来ました。まもなく彼岸というこの時期に、我が家でも真冬の様な雪景色になったのだから、暖房も無く十分な食事も無い北国の避難所での暮らしが、どれだけ人々を痛めつける事か想像もつきません。家も財産も農地も農機具も何もかも失って、中には大切な家族さえも亡くして、果たして生活の再建はなるのだろうかと、心を痛めております。
 加えて福島原発の事故が発生しました。目に見えない放射能と、地震災害ではまだ顕在化していない農地の被害。恐らく大きな面積で、今年の稲作が出来なくなるのでは無いかと心配しています。
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