「かじや村便り」
                   平成19年1月


  昨年秋、初めて本格的に自作地で作った山田錦を刈り穫る直前に、別の田で作業中コンバインのキャタピラーが切れ、修理に5日掛かって刈り取り適期を逃し、収穫した米に胴割れが出てしまいました。予定通り大吟醸にするには、精米歩合で50%まで研く必要があります。

 吉田酒造専務の肇君は、ちょっと無理かも知れないので純米酒にすると言って来ました。順調ならマキノ町産の山田錦と一緒にして、大吟醸「花嵐」になるのですが、純米酒なら話は別。折角だから全く新しい銘柄に出来ないだろうかと話を持ちかけ、「かじや村」が誕生しました。

 ラベルも新しく作る事になり、題字は高島高校で書道を教えておられる、西川桂邨先生にお願いしました。保健体育の教師をしている家内の美代に、同僚のよしみで気楽に頼んで貰ったのですが、実は西川先生は日展に入選される程で、地元を代表する書家なのです。

 絵は福山聖子さんにお願いしました。平成15年6月朝日新聞に、我が家のスケッチが「ホーロー看板」という題で掲載されました。平成17年、東京ファーマーズマーケットに出展するために、福山さんにその絵の原画を使わせて頂きたいとお願いしコピーを頂いたのですが、今回その絵に着彩をお願いすると、改めて彩色した絵を描いて送って下さいました。何とよく見ると、肥料の名前が書いてあるはずのホーロー看板の文字を「平井農産」と直し、前の絵より少し横広に描いてあって実物に近くなりました。

 西川先生の書と福山さんの絵を頂いて、何種類ものラベルを試作し検討を重ねました。制作過程で、書をお願いした西川先生は高校時代、肇君と同級生だったのにお互いに気付いていなかったと言うことも分かりました。隣家で我が家の本家が刀鍛冶だったと言われており、家の周りの小さな集落を「鍛冶屋村」と呼んでいるのですが、「かじや村」の由来が分かる様に少し説明を入れました。

 吉田酒造社長の茂芳先生は、私が高校時代のクラス担任。本来は経済学がご専門で、我々が卒業すると龍谷大学へ行かれました。お陰で卒業生は我々のクラスだけなのです。

 専務の肇君は、実は私の教え子。先生のお宅にはしょっちゅうお邪魔していましたので、小さい頃から良く知っていました。肇君が中学3年生の時、臨時講師としてマキノ中学に行き、彼のクラスでは英語・数学・理科を担当。課外活動では、駅伝やクロカンスキーまでコーチしていましたので、終日一緒に過ごしていた様なものでした。

 その肇君から電話が来て、一緒にマキノ町で山田錦を作り出したのは11年前。海津にある酒蔵に似つかわしい、桜の名所・海津大崎の桜から取った「花嵐」という名前の大吟醸は、幸いに好評で段々と反別も増え、今では14反に作付けしています。

 山田錦は非常に作りにくい品種で、普通に作れば私の肩を越える程に伸びてしまいます。こんな長い稲を倒さずに作るには、施肥設計と水管理に非常に神経を使います。昨年は5反半の田で33俵半の収穫がありました。今では何処でも山田錦を作っていますが、20年近く前に初めて作った時は全くの手探り。兵庫県が県外での栽培を制限していた頃に、後輩に無理を言って少しだけ種籾を送って貰い、試作した経験が生きました。

 私の人生を集大成するような、素晴らしい出会いの数々から生まれた純米酒「かじや村」。造った肇君は満足のいく出来映えと言い、甘党の私が飲んでも美味しいお酒に仕上がりました。

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