かじや村便り
                   平成19年3月

 田中神社から少し山道を登ると、継体天皇の父と言われる彦主人王の陵墓があります。第26代の継体天皇は謎の多い大王と言われていますが、高島市三尾の出身で507年に即位。この継体天皇より前に即位した天皇は、いずれもどちらかと言えば神話の時代。田中神社の祈晴祭に勅使御気主命を御差遣され、晴れを祈った言われる第8代孝元天皇は、116歳で亡くなられた事になっています。

 しかしながら継体天皇の時代からは、歴史的にも信憑性があると考えられているとか。1月から月に1回の割合で古代史連続講座が開かれていて、私も友人に誘われて参加しています。

 「中世高島の村落と領主」という講演会もあり、こちらでは我が家の回りは条里制の跡で、八条三里辺りになると分かりました。12世紀頃には周りに幾つもの荘園があり、既に広く農業が行われていたらしく、もしかすると私が米を作っている田には、千年近い歴史があるのかも知れません。

 平井姓も佐々木信綱の子孫の佐々木師綱が、市内新旭町平井に住んだのが始まりと言われ、どこから見てもとんでもなく長い長い歴史があるようです。

 2月27・28日、あわら温泉で東海・近畿・北陸地区農業研修生OB会の営農研究会がありました。飯島副知事はご挨拶で、「健康長寿県日本2位の福井を、農業が支えている」と話され、元福井県農業試験場長仲橋氏は、「コシヒカリ誕生の苦労話」と題して、植えたばかりのコシヒカリの苗が福井地震の中で生き残った裏話など、非常に興味あるお話をされました。

 新潟県がコシヒカリの本場と言われていますが、農林1号と農林22号という稲を交配したのは確かに新潟県。しかしその中から選抜を繰り返し、越南17号として育てていたコシヒカリを、農林100号として品種登録をしたのは福井県。

 所がこの農林100号を県の奨励品種として積極的に植え付けを薦め、コシヒカリと言う名前を付けたのは新潟県なのです。

 インドネシアから研修生を受け入れている福井県の農家が、懇親会の席で餅つきを披露。私も小突きの段階を手伝いました。何と言う品種か聞き漏らしましたが、我が家の滋賀羽二重糯と違って粘り気の少ないお餅でした。お年寄りが喉に詰める心配が少なくて、具合が良いのだそうです。

 昨年秋、田中神社改修工事の為の趣意書をお配りしましたが、大勢の氏子の皆さんから予定していた金額を超える程のご奉加を頂く事が出来、21日の春分祭で奉加帳をお供えして神前に報告しました。
 この写真は神饌所の改修工事のため、既に工事用の足場が組み始められている中で、献饌をしているところです。春分祭後の役員会で、改修工事の概要と奉加帳でご協力を頂いた金額を報告。建設委員長としては、これで一安心と言う所です。

 懇親会では、大総代が供えてくれた「かじや村」と、別の役員が供えた大吟醸酒を飲み比べましたが、もしかしたら精米歩合の違いが原因なのか、「かじや村」の方が濃厚な感じでした。少し辛口な気もしましたが、その辺については自信がありません。

 22日、清水農園の光男君に頼んで器具をセットしておいて貰い、籾種の温湯消毒をして来ました。

 得意先農家で、「環境こだわり農産物」を作られる方もおられ、その場合はなるべく農薬を使わないで稲を育てますので、一緒に温湯消毒をした籾種をお届けする予定です。私自身は「環境こだわり農産物」の認証は受けていません。農薬や化学肥料がまるで悪い物で有るかの様に、この2つをなるべく使わないで農業をする事に主眼が置かれているので、ちょっと違和感があるのです。

 私が有機質肥料主体の農業をするのは、その方が絶対美味しいお米が穫れるから。環境こだわりは、私にとっては結果論に過ぎません。農薬は、除草剤以外は使わなくても問題ない位に、丈夫な稲を心がけています。
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