平成12年 2000年 10月
                                                                                                             
  秋の収穫時期に一番心配な台風は、沖縄や奄美大島には上陸したものの、結局一度も本土には接近せず、その代わりに秋雨前線がしつこく停滞し、週末ごとに雨が降って天候の定まらない秋でした。稲刈りを始めた頃には分からなかったのですが、収穫作業が終盤に近づくに従って根のいたんでいる稲が多くなりました。昨年の例もありますので気を付けて水を入れていたのですが、収穫作業でコンバインが沈むのは避けたいので、どうしても少なめに水管理する様になります。
 予想外に夏の日照りがきつかったとも言えますし、夕立などは全く無いに等しい厳しい暑さが続いたことも確かです。こんな年には砂地の田は酷く割れてしまい幾ら頑張って水を入れても吸い込まれてしまいます。逆に湖辺の砂地の粘土地の田や湿田は豊作になりますが、味は決して良くはありません。滋賀県は琵琶湖が真ん中にあって、夜温が下がりにくく気温の日較差が少なくて、昼の間に出来た澱粉を夜の間に消耗するする様な稲作になります。汗を拭き拭き稲刈りをするようでは、これは避けられません。5月下旬に田植えをすると9月下旬の稲刈りになります。来年は試しに6月まで遅らせて、田植えをして見る積もりです。
  14・15日は、大学のバスケットボール部の創部50周年記念の一泊旅行で、諏訪方面に行って来ました。参加者が少なかったのでマイクロバスをチャーター。もっとも大型運転免許を持つっているのは私だけなので、2日とも運転手。せっかくの機会だからと新米を2kgの真空パックにし、皆のお土産に積んで行ったのですが、「何や、あの米は!無茶苦茶旨かったわ」などと電話を頂いて、持って行った甲斐があったかと喜んでいます。
  中秋の名月は天候に恵まれ、めずらしく綺麗な月でした。17日、隣町の高島町で町長選挙があり、義兄が4選を目指して出馬。朝の出陣式を手伝って直ぐぐに帰り、糯米の滋賀羽二重を刈り取り。昼過ぎにはぼちぼちと雨が降り始め、4時半過過ぎには本降り。無投票のため5時に選挙戦は終わったのですが、4選とも無投票。だからと言うわけでも無いのですが、選挙カーの運転手は長男でウグイスは姉が勤め、まるで4年に一度の家族旅行という趣きでした。行き先は町内だけというのが難ですが。
  19日にはマキノ町で山田錦の刈り取り。吉田酒造専務の肇君と従業員の小林君、それに地主の吉原さんの4人で2枚の田を刈り取る予定でしたが、近くで早朝火事があったとがで、午後は後片づけに吉原さんが出掛けられ、肇君も途中で呼び出しの電話。結局私のと2台のコンバインを準備したのに、一人で運転し無ければならない羽目になり、全部の作業が終わったのが夕方の6時。しかしながら次の20日は、朝から降り始め午後は大雨。頑張った甲斐があったのですが、気まぐれな天気に振り回されています。 
近所にある「テクノ高槻」という、電子部品工場の閉鎖が決まりました。 

inserted by FC2 system