平成13年 2001年 2月
  1月の大雪は、北日本では被害の出る程の積雪でしたが、幸いに私の地域を避けるように降り積もり、とリわけ2月になってからは殆ど積もらず、昨年の今頃とは大違いです。まるで春の様な陽気で雪は全く消えてしまって、これも一種の天候異変でしよう。百姓にとっては寒い時には雪が積もる、冬らしい冬の方が有り難いのですが。
  1月末の滋賀県民体育大会には、ぶっつけ本番でクロスカントリーの試合に出場。2位でした。ほんの何百メートルも走らない内に息が切れ、えらい目に会いましたが。それでも何とか終わって見るとますます走りたくなって、2月15日から行われた飯山国体にはそれなりの準備をして行ったのですが、選手の輸送や雑用に追われ結局一度もスキーには乗れず終いでした。大会は17日まで毎日雪が降って、さすがに豪雪で知られた飯山だと感心しましたが、開会式の18日からはすつかり天候が安定し、余り寒くも無く、かと言
って雪が溶ける程の陽気にもならず、何年振りかで気持ちの良い国体でした。わけても観客の方の人数と拍手の多さには、熱意とスキー競技に対する理解の深さを感じさせられました。
  京都の選手団には地元の飯山出身の選手が何人もいて、しかもその内の一人、静谷君が選手団の旗手を勤めたので、開会式での拍手の多さはとりわけ凄かったのです。結果は昨年の様に優勝者がでると言うような、派手な活躍はありませんでしたが、1人が8位に入賞したほか11位・12位・18位などと上位に食い込み、リし−競技では、成年男子が昨年より1つ順位上げ6位に入賞。少年男子も14位、女子も11位にそれぞれ順位を上げました。雪無し県と言われる西日本ではトップクラスの成績です。
 山梨県のクロスカントリーの監督で来ていたスキー部の後輩の中安君とは、1年振りの再会でした。お互いに選手を抱えている身で、なかなかゆっくり話しも出来ませんでしたが。スキー部の後輩と言えば、一緒に行った選手団の副団長がプログラムで見付けて下さり、香川県から現役のスキー部員がアルペン競技に出場している事を知りました。スキー部監督としては誠に迂闊なことながら、全く知りませんでしたので、香川県の選手団の宿舎に挨拶に行ったのですが、本人には会えす残念でした。新入生に経験者がいるからという事は知っていたのですが、国体に出場出来るしベルだとは思ってもいなかったのです。
 3月になるとぼちぼち農作業の準備が始まります。今年は減反の面積が昨年よりも更に増えて30%を越えそうで、これでは3年に1度は百姓をしないことになります。減反になって米を作る事が出来ない田こ、大豆や野菜などを作るのが本来の姿なのですが、若者が農家を継ぐ意欲を失ってしまい、農家も農村も何となく元気が有りません。

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