平成13年 2001年 6月
 5月は好天に恵まれ順調に仕事が出来、−月遅れで種を撒いた苗代の苗が、田植えの出来る程に伸びてくれるのを待つ程でした。一般に播種作業は4月初旬に行われますが、苗は20〜25で中苗・30〜35日で成苗に育ちます。暖かい5月に播種をしたので成長はかなり早かったのですが、根の発育が伴わず田植機に乗せるにはやはり30〜35日待たなければなりませんでした。
  24日は国際農業者交流協会の会計監査のために上京。26日に後輩の結婚披露宴に富山へ行き、6月2・3日に代掻き。4日には家の周りの4枚の田を植えて5時に終了。直ぐに着替えて6時の電車で東京へ行き、5日には交流協会の総会に出席。6日からまた農作業に戻り、今年は時間的に余裕があるからと、基盤整備の出来た田の高低差を丁寧に直しました。とりわけ毎年水口の付近が低く、冬中水が抜けなくて柔らかい田を何とか直して、毎年手刈りを余儀無くされているのを、コンバインで刈り取りが出来るようにしたいと頑張って、ついやり過ぎて3度もトラクターを煮え込ませ、甥や息子を運転手にパジェロのウインチで引き上げ、ようやく何とか代掻きを終了しました。
  田植えは佐千夫の手伝いもあり、昭和59年から預かっていて、まるで我が田の様に大事にしている田を2日がかりで。ここは基盤整備地帯の端にあり、周りに人家が無くて目立たないからと、佐千夫も田植え機に乗せましたが、往復する度にグ二ヤグニャと蛇行し、その度に私が2・3度往復して修正しました。見ていると簡単そうな機械操作も、実際はそんなに楽な物ではないことが分かった様です。最後の代掻きになった10日は、あと15分で終りと言う時に土砂降りの俄雨に会いましたが、11日の昼過ぎにはどうにか全部のロを植え終りました。
  溜まっていた肥料の配達を済ませ、配り物の手配など区長の仕事をし、夕闇の薄暗がりの中を最初に植えた家の回りの田に除草剤を撒いて12日、朝一番の電車で三度目の東京。11時から米国へ2年間の農業研修に出発する若者の壮行会に出席。明くる13日は彼等を成田空港で見送り、同じ日に帰って来る2年前の研修生を出迎えました。この二つのグループの若者。片や不安と期待に少しの感傷の入り交じった出発組と、自信に満ち溢れ満面の笑みを湛えて握手をしに来る帰国組の、全く対称的な教え子達に再会するのは、年に一度、講習担当者としての最大の楽しみなのです。
  15日は彼等の歓迎解散式。乾杯の音頭の指名を受けると、私の担当した和歌山講習の研修生が、声を掛け合って最前列に集合。いい顔になって帰って来た皆んなに乾杯しようと杯を上げると大喚声。色々な出し物で騒いだ後は6名のグループリーダー全員が壇上に上がり、研修生は全員胸に手を当てると君が代を合唱。30数年講習を担当してさましたが、こんなグループは初めてです。2年間の苦楽を思い出し、お互いに肩を抱き合って泣き出す若者が続出したのも、久し振りに見る光景でした。

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