平成13年 2001年 9月
 8月26日に長女の佐紀子が結婚しました。大学と大学院の合計6年間を愛知県で過ごし、勤め先の学校も嫁ぎ先も結局は愛知県内になりました。盆踊りを取りやめ18日に夏祭りをした頃は、この調子なら9月の区民運動会の日程は来年から考え直さないと、皆んなが熱中症に罹るぞと言う者がいましたが、8月下旬からグンと涼しくなって運動会の2日は上々のお天気に恵まれました。残念ながらマラソンは、途中まで3位を走っていましたが若い選手に抜かれ4位で入賞を逃してしまい、自分で自分を表彰する事は出来ませんでした。26回を数えるこの運動会最後の花形種目、「一発逆転20人リレー」の我がAブロックのアンカーは、永年私が走って来たのですが、遂に今年、記憶にないからおそらく初めて、18歳若い隣のBブロックの選手に抜かれ、来年は我がチームも若い選手に渡す事にしました。もっとも一人バトンを落とした者が我がチームにいて、あれさえ無かったらとまだ未練たっぷりなのですが。しかしもう、来年は還暦ですので諦める事にします。
  11日から14日まで、例年通り名古屋と岡山で農業研修生の選考会。16日は町会議員選挙の投票日。参議院選挙の時と同様に、終日投票所の管理責任者を勤めました。17日からいよいよ稲刈り。少し早いかなと思いながらも日程の都合も有って刈り始めましたが、品質も良く収量もまずまずでお送りできるのを喜んでいます。新米の風味を大切にして、少し乾燥を緩く仕上げて見ました。もちろん風だけを送るのですが、乾かし過ぎるとお米の味わいが無くなってしまい、せっかくの春先からの努力が生きて来ませんので。
 22/23日は宮津で、「第15回天橋立ローラースキー大会」でした。こちらも天候に恵まれ、余り暑くならずに250人の選手が競ってくれました。大会終了後15回大会だからと記念式典もしましたが、いずれも若い役員が取り仕切ってくれ、10年前ならあれもこれも皆な自分の仕事だったのにと、複雑な思いもしました。スキー連盟の競技部長と言うのはきっと、実務の方が好きな私の性に合わないのでしょう。
 25日からコシヒカリの収穫を始めました。毎月お届けしているレギュラーのお得意さまには、25日を目途に発送していますが、今月は少し遅らせて「まなむすめ」と「コシヒカリ」の両方を新米に切り替えました。10月には今年から作り始めた「コシイブキ」と、ご希望が有れば餅米の「滋賀羽二重」も出来上がります。お試し下さい。
 やっぱりと言う感じで昨今の狂牛病騒ぎを注目して見ています。本来草食動物である牛に穀物を食わせ、それだけでは足りずに肉骨粉を食わせて効率よく太らせようとする人間のエゴに、自然界がテロを行ったのでは無いかとさえ考えています。アメリカで研修していた頃「グラス フェツド」と表示してある肉を見て、草を食わせて牛を育てるのは当たり前や無いかと、奇異に感じたのを思い出します。アメリカでは今でも、頑固に草だけで牛を育てている牧場が有るのです。本当に牛にだけ出るのかも心配です。元は羊の病気でした。豚や鶏や魚は発症しないと言います。しかし発症しないだけでキャリアとして、次にうつす役割を果たすことは本当に無いのか。誰もこの問に答えられないのです。農水省は肉骨粉の輸入は無いと、つい8月末までは説明していました。何なのでしょう。

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