コシヒカリ便り                平成15年1月

 還暦を迎えた昨年は怖いほどの幸運に恵まれ、お陰でこの13日から28日までイタリアに行って来ました。第21回ユニバーシアード大会冬季大会バイアスロン競技日本代表選手団コーチという肩書きを貰い、監督を務めてくれた梅原弘史君(京都大学大学院卒・文部科学省勤務)、選手の松岡岳洋君(大阪大学4回生)内田雅也君(龍谷大学4回生)中井俊輔君(同志社大学4回生)道上雄貴君(大谷大学3回生)の5名と共に、佐藤昭団長以下総勢136名の選手団の一員として渡航。イタリア北部のフォルニ アヴォルトリという街のヴォライア ホテルで、クロアチア・ポーランド・フィンランド・スロベニア・スロヴァキア・ベラルーシ・ウクライナ・中国・韓国等の選手達と、合宿さながらに寝食を共にしました。

 当然共通語は英語になるのですが、街ではお店の人達には全く通じないし、ホテルでも選手個々で会話能力はバラバラ。朝の挨拶を何語でするかと言う所から悩みは始まります。意外と向こうからオハヨウと言われたりもし、彼らの母国語で言い返したりしていましたが、英語以外はイタリア語が主流。元は船の機関員で、日本に来たことがあるクロアチアの監督などは、何かと話したがって食事の後で良く話し込みました。

 食事は豪勢。飲み物がミネラルウォーターだけというのも違和感はなく、朝食にはハム1枚とコーヒーかチョコラテ・チョコレートなどにジャムとバター。最初は戸惑いましたが堅いがとにかく美味しいパンが好きなだけ食べられ、大会が始まるとジュースやヨーグルトに、リンゴやミカン・オレンジ・洋梨などの果物も出て、これも食べ放題。昼食と夜食はパスタに肉料理が必ず出て、その量の多いこと。ポコと言うのが半分と言うイタリア語だとボランティアの大学生から聞き出して、毎度試すのですがお構いなし。選手の世話に行ったのだからと結局自分では一度もスキーを履かず、時間があれば持参したコンピューターでホームページを作っておりました。デジカメで撮りまくった写真を使って、アルバムを載せています。

 残念ながら研修生の後輩達が、還暦記念に贈ってくれた東芝のダイナブックですが、どうしても現地でインターネットに接続出来ませんでした。ボランティアの大学生が私のノートパソコンを使って、自分の加入している現地のプロバイダーに自分のアドレスとパスワードを打ち込み、何度も試してくれても接続できず遂に諦めました。現地のコンピューターで私のホームページに接続したときには、もちろん画像と平井肥料店などのロゴマークだけでしたがちゃんと見られ、世界が狭くなる理由が分かった気がしたものです。スキーやスケート・スノーボード・カーリング・アイスホッケーなど、種目ごとに競技会場が違うので選手団の宿舎も何十qも離れてバラバラだったのですが、事情は似たり寄ったりでした。当初の予定では競技団体同士をインターネットに接続して、E-mailで連絡を取り合おうと言っていたのですが。

 競技場やホテルで写真を撮るとプリントして渡したりもしましたが、後で送って欲しいと言って渡された住所も殆どがE-mailアドレス。一番仲良くなって一杯写真を撮ったロシアのウラジミール君には、全部の写真をCD-ROMに焼いて渡しました。100枚以上入っています。もちろん現地ボランティアの大学生にも渡すと、CDをコピーしたよと喜んでくれました。お返しにウオッカをウクライナの選手から貰ったり・現地の警官や大学生はワインや小さな置物・お菓子などをくれ、一段と交流が深まりました。
 言葉の通じないところで一番大事なのは、笑顔と会釈だと言うことを思い知らされた、15日間でした。
        内田・道上・中井・松岡の選手達
 平井(イタリア人の真似をしてヒゲを生やしてました) 佐藤団長・梅原監督・JOC役員
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