「コシヒカリ便り」             2003年10月

  遂に今年の米の作況指数を農水省が下方修正しました。東北地方の収穫作業が進むに連れて、次第に凶作の模様が明らかになっています。太平洋岸の岩手県に奥中山高原という酪農地帯が有ります。村山さんというドイツに研修に行ったOGは、この辺は駄目みたいですと言ってきました。

  秋田県は平年作と言われていましたが、欧州講習助手の由利君と話すと、昨年よりも1俵悪いと嘆いていました。もっとも私が試すように奨めた「マグホス」と言う肥料はその効果が抜群だったそうで、籾摺りをしながら不思議がって居られる親父さんの、何度も何度も小首を傾げる姿がおかしかったと言ってました。マグホスを使った田だけは平年作より半俵増収したそうです。

  夏からずーと降り続いた雨で、収穫作業は大変だったらしく、湯沢の由利君は「何時でも田植えが出来るような田で、稲刈りをしています」と言い、大潟村の岩井君は「もしかしたら、5haの田を手刈りになるかもと心配しましたが、畑作をしている友人がコンパネ30枚を次々にコンバインの旋回する場所に移動してくれて、何とか終わりました。大潟村ではあちこちでコンバインが、足回りをぬかるんだ田に取られて沈んでいます」と言ってきました。

 私の方は16日、最後の「こしひかり」を収穫して今年の稲作を終了しました。天候不順に振り回された一年でしたが、幸い除草剤を1度使っただけで、殺菌剤・殺虫剤を全く使わずに収穫まで漕ぎつけた事には安堵しています。しかし残念ながら、稲が綺麗に登熟したので安心していたのに、収量は芳しくありませんでした。このまま行けば来年の端境期に、米の在庫が底をつくかもしれないと思って、従兄の佑一君からコシヒカリを譲って貰いました。今お送りしているコシヒカリがそれです。

  私のコシヒカリは籾のまま来年の夏まで休憩をさせておきます。ヒトメボレは元々作付けが少ないので、新米の間だけしかお送りできません。多分10月11月でお仕舞いになると思います。来月以降は短旱こしひかりになりますが、イモチ病にも強くて作りやすく、食味も良いので昨年から我が家の主力にしているものの、年を越えての夏場にはやはりコシヒカリかなとも思って、来年は作付けを見直そうかと考えています。

  26日には東京の国立スポーツ科学センターで、全日本スキー連盟のクロスカントリークリニックに出席。昨年ユニバーシアードの選手達と行ったときには、もう2度とこんな所には来られないかも等と、皆で言い合ったのを思い出していました。

  27日は欧州講習の研修生達と、千葉県流山市の青年の家から葛飾・柴又・帝釈天までの往復35qのハイキングを引率。途中「矢切の渡し」では渡し船にも乗りました。全く「寅さん」の世界でした。

  28日は衆議院議員選挙の公示。毎年この時期に長野へ一緒にお墓参りに行く松永昌樹君が、栃木3区から立候補しているので陣中見舞い。ケータイ電話で選挙カーの所在を追いながら、彼の出身地の那須町で合流したのですが、折角だから「滋賀県から応援に駆けつけてくれましたと紹介するから」と言われ、駅前で応援の街頭演説までしてきました。

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