2004年7月
 梅雨入りが比較的早かったので、雨の中の田植えを覚悟していましたが、結局雨らしい雨は降らずに無事25日に終了。台風と伯母の葬儀があり少し遅れましたが、昨年より2日延びただけでした。周りの田は田植えから1月半以上経っていて、さすがに今年は減反で植えないのかと思ったが、植わったなあと言われた方もありました。

 田植え後は全く降らない梅雨が幸いし、順調に成育しています。一番早く植えた「コシヒカリ」は、もう3〜4センチの幼穂が確認出来るほどになりました。ただ田植えが極端に遅いため生育期間が短かく、そのため元肥に使った肥料がまだ稲の体に残っていて、葉色が落ちないで葉身長もかなり長めになっています。これは少し心配な点なのですが、ほとんど雨が降らないので多分倒伏したりはしないと思っています。それでも台風だけは心配ですね。

 18日の豪雨で福井県今立町の斉藤君という後輩が被災しました。同期でアメリカに行った大垣の山田君がメールで知らせてくれ、頼まれたダンプを持って行きたいが帰りの足が無いと言うので、運転手に行って来ました。幅1m強、深さ1m弱の谷川があふれ、山の土砂が屋敷内に流れ込み、経営する繊維関係の工場には高さ1mほどの砂が堆積していました。実印や預金通帳など大事なものが全部流され、呆然自失と土石流が工場の中までいう状況だった様です。向かいの親戚の方が、濁流に押されて倒れたコンクリートの擁壁に押しつぶされて亡くなり、葬儀に2日掛かり切りで自分の事は忘れていられたと言い、被災して3日目にようやく連絡を入れた様です。

  21日に山田君と待ち合わせて出かけましたが、屋敷内は被災した工場と無事だった自宅の間が土石流の流れになり、4トントラックが荷台の下まで土砂で埋まっていました。取りあえずその日はフォークリフトにバケットを付けて、土砂をダンプで10数台運び出しようやく玄関と車庫に出入りが出来るようになりました。25日の日曜日には再度出かけ、山田君が誘ってきてくれた2人の若者が2台のダンプを運転。私と山田君でフォークリフト・ホイールドーザー・バックホー(ユンボ)の三台を乗り回して、ようやく夕方になって何とか外回りを片づけました。2トンダンプで50数台運んだ様です。工場の中は駆けつけた大勢のボランティアの人たちが、移植鏝で掘り返しスコップで一輪車に載せて砂を出してくれ、我々がそれをダンプに積み込んだのですが、まだまだ機械の下には絶望的な量の砂が堆積しています。いつになったら仕事が再開出来るのか、見当もつきません。

 佐紀子は17日、裕大と岡崎へ帰りました。少し予定より早かったのですが、婿さんの禎裕君がその前の週に来て、夕食時にあまり元気が無いので理由を尋ねたら、ぽつりと「寂しい・・」と言ったのがその理由。私の家にはエアコンが有りませんので、この夏の暑さを考えると仕方有りませんね。私のケータイは古くて写真は撮れませんが、美代は買い換えて新しくなったケータイに、初孫の写真を待ち受け画面に入れ、皆に見せて回っているようです。

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