平成17年2月
                                            
 「供託金を持って行くことになりました。」そんなケータイメールが甥の綱次君から入ったのが1日の午後3時過ぎ。義兄の綱一さんが6日に告示される高島市長選挙に、これ以上遅くては間に合わないという、ギリギリのタイミングで出馬を決意したと言うわけです。昨秋10月に5期連続無投票で高島町長に再選され、1月1日、郡内6ヶ町村が合併して高島市が誕生したのを機会に引退。政治とは無縁の世界に遊んでいるとばかり思っていましたが、内心は悶々として揺れ動いていたようです。

 投票日は13日。県会議員を任期半ばで鞍替えして出馬した候補と、2名の元町長が既に立候補を表明。市会議員も同日選挙になるため、それぞれの陣営が支持者を取り込んで体制を固めていて、家族と親戚以外に支援者は見込めない状況で、何故この時期に?と周囲の誰もが驚きました。他人はともかく私がそんなことを言っても仕方有りませんので、2日から13日までの間の、モーグルスキー大会や京都での会議などを全てキャンセル。一気に選挙態勢に突入しました。

 選挙権を得て間もない頃から伯父の県議選を3回、最近では義兄の町議選が2回、町長選も5回手伝っていますので、私の選挙戦支援歴は40数年。勿論義兄の家族は手慣れたもの。看板を作りポスターを手配し、供託金を納めてわずか2日で選挙態勢が出来上がる家はそう多くないで…などと言いながら、パジェロを選挙カー仕様に仕立て上げました。昨秋の町長選の看板を利用して、パソコンで作ったシールを貼り、「高島町長候補者」の「町」を「市」に変えただけ。3日には警察の車輛検査をパスして許可を取得しました。選挙ハガキは私のパソコンで手作り。法定では8000枚と言う事でしたが、甥達の作ったものを含めても1500枚位でしょうか。

 選挙そのものは出遅れが響いたものの、選挙カーを私が運転しウグイス婆さんは姉が勤め、1週間市内をくまなく回って各地で街頭演説をこなし、暖かい応援を一杯頂きました。当落は端から問題にはしていませんでしたから、皆様方のご声援に義兄夫婦は感激して選挙戦を無事終えました。

 15日夕方から「岩手りんどう国体」京都府選手団結団式。山小屋の田中英一先生が今回も選手団々長を勤められますので、一緒に出掛けました。16日夜、9時に京都を出発した京都光華高校のマイクロバスが、総監督と選手7名に後部座席一杯の荷物を乗せ、監督の村上君の運転で10時過ぎに安曇川駅に到着。北陸道・磐越道・東北道を通って岩手県安代町までの長丁場でしたが、12時から3時過ぎ、5時半過ぎから8時前、朝食後にもう一度などと、大体3時間を目処に交代で運転。昼前、無事宿舎に到着しました。

  クロカンチームが泊まる「カントリーハウス the せき」は、7年前の安比国体でもお世話になった宿舎です。大会では4年ぶりに個人とリレーで得点をあげたのですが、最終日の成年男子リレーでは、最終走者が2人を抜いての7位入賞で喜びは格別でした。宿舎の皆さんも大喜びで選手・コーチと一緒に写真に入って頂きました。帰りの飛行機が雪で飛ばず、花巻温泉で1泊しましたが、お陰で次の日は開港なったばかりの中部国際空港に着陸。悪くない旅でした。

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