平成17年4月
 三月も終わりに近くなってまだ、雪が降り大雨が続いて、田面が乾かないまま待ちきれずに田起こしが始まりました。28日、名古屋で開催された国際農業者交流協会のフォーラムでは、永年協会に勤務され常務理事を最後に退職、今はカリフォルニアにお住まいの本田さんが講師に来られるので、出席して大勢のOB達に会って来ました。フォーラムの主題は「水稲の乾田直播」でしたが、雪と雨に悩まされる湖西の地ではちょっと無理な技術の様です。

 桜の開花はここ1・2年と比べると1週間余りの遅れ。4月も中旬になってようやく天候が回復。気温も上がって来てさすがに田が乾き初め、佐千夫が今年30年目の古いトラクターで、鶏糞を微生物で培養した耕土培養資材を散布し、私がその後を別のトラクターで起こすという作戦で、3日掛かって全部の田の荒起こしが済みました。その後従兄の畦塗機を借りて、今年から新しく作らせて貰うことになった3枚の田を含めて、1日掛かって田の回りに畦を付けました。既に回りの田には水が入り始めていて、少し作業が遅れたら回りの田から私の方に水が染みこんできて、難儀する所でした。畑作主体の欧米と違い水田稲作の日本では、自分だけが変わったことをするのは大変なのです。「人の踊るときには踊らんと…」と言われたお婆さんがおられましたが、その通りですね。

仕事柄なかなかこの時期には、お花見に出掛ける事は出来ませんが、佐紀子からお花見の写真が届きました。もっとも10ヶ月になる裕大は、お花見よりも人の方が気になって、なかなかカメラの方を向いてくれなかった様です。

 年度末に新年度の南市区・田中神社氏子総代を仰せつかりました。南市は今年が田中神社例大祭の渡し番。と言うことは、田中神社の平成17年度大総代を預かる事になります。田中神社の大総代というのは、単なる氏子総代ではなくて、実は田中郷全体を取り仕切る郷長とも言うべき役柄。田中郷の財産である山の管理から、田中郷の共同墓地の管理まで責任は非常に重いのです。安土桃山〜江戸初期に活躍し、関ヶ原の合戦では石田三成を捕らえて名を上げ、後に三河・岡崎城、筑後・柳川城を築いて治世に尽くした事で知られる田中吉政は、この田中郷の出身。歴史を感じますね。

 その田中神社の例大祭は、5月1日に行われてきました。ところが氏子に勤め人が増えてお祭りの維持が難しくなり、現在は5月4日に変更して行われています。この田中祭りは、馬祭りとして近在に知られていました。昭和20〜30年代には、4〜50頭の花馬がお祭りに奉納されて華やかでしたが、田の耕起に耕耘機が登場し、農家が馬を飼わなくなって次第に廃れ、今では役馬1頭だけ。何とか賑わいを取り戻したいと、昭和52年になって子供会が樽御輿を奉納する様になったのですが、今年宝くじの補助金を戴いて「子供御輿」三基が新調されました。23日、高瀬装束店から出来上がった御輿が届きましたが、素晴らしい出来栄えでした。
 お祭りの子供達の反応が楽しみです。
せっかくのお祭りが、いいお天気に恵まれる事を願っています。
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