平成17年5月
  田中祭りは4月29日の「馬揃湯立祭」から始まります。1日、南市区の評議員さんたちによって神社に幟が立てられ、私も一緒になって後始末や草刈りをしていると、ぼちぼち雨が降り出しました。夜半から強風が吹き荒れさすがに落ち着きませんでしたが、竹の先が折れ幟が裂けたりはしましたが、幟そのものはしゃんと立っていてまずは一安心。

  3日には傘宿の伊藤さん宅で、花嫁衣装の黒、打掛、帯3本を使って、傘鉾の飾り付けが始まりました。田中郷では結婚した順で、夫婦健在の場合に傘鉾を出すのが決まりでしたが、段々と難しくなってきております。この慣習通りに傘鉾を出されるのは、今年の伊藤さんが最後になるかも知れません。

  因みに我が家では、順番が回ってくる前に父が他界しましたので、残念ながら父の代には傘鉾は出せませんでした。母はその積もりで嫁入り衣装を持って来たのにと残念がっておりました。祖父・市之助は昭和11年、曾祖父・佐右衛門は明治37年に傘鉾を出しております。記録に依るとその前は、佐平次が慶応4年、佐次右ヱ門が安政6年に出している様です。

  南市区には、宵宮太鼓保存会があります。しばらく途絶えていた宵宮参りを復活させ、田中神社へお参りしたあと南市区内の、お祝い事のあったお家を回って伊勢音頭で祝ってくれます。我が家では大総代としての表敬訪問以外に、初孫・裕人の誕生を祝って来て頂きました。裕人も太鼓を叩かせてもらってご機嫌でした。

  お祭りは絶好の日和に恵まれ、午前中は田中郷の役員が紋付き羽織袴姿で式典に参列。午後は南市が渡し番と言うことで、役馬も加わって賑やかなお祭りが惣社神社を出発。佐千夫は今年で4度目の使発走で役馬に乗りました。

  私は他の役員さん達と神社の石段に並んで、到着するお祭りの行列を待ちます。一番心配だった流鏑馬も、スキースポ少OBの西川雅章君が見事にやり遂げてくれ、佐千夫の使発走も無事に済んで素晴らしいお祭りでした。後宴祭まで3日間とも快晴に恵まれたお祭りは、ここ数十年覚えがないと宮司が言われたほどで、大総代の精進が良かったんやでと言って頂いたほど。後日佐千夫は駅前のスーパーで、見ず知らずの人に「お祭りご苦労さんやったな」と言われたそうです。

  お祭りの終わるのを待っていたかの様に6日は早朝から雨。苗代作りは予定より少し遅れましたが、8日に作った最初の苗床の苗は、その後の低温で1週間掛かったものの無事出芽。次々と出揃って後は6月初旬の田植えを待つばかりです。

  ワリフという保温資材をめくって写真を撮ろうとしたら、5センチほどの雨蛙が苗箱に飛び込みました。蛙が動き回れるほど薄く種が蒔いてあるのと、苗がほぼ等間隔に並んでいて、苗の葉が広いのがお分かり頂けるでしょうか。苗半作と言われる様に、丈夫な苗を作ることが良い米を穫る基本になります。

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