「コシヒカリ便り」          平成18年10月
 9月20日からコシヒカリを刈り始めました。普通の農家だと籾が乾いた所で籾摺りをし、玄米にして出荷するか自家用に貯蔵します。我が家では毎月必要な分だけを籾摺りしますので、後は全量籾のまま貯蔵しています。従って実は、今年の収量がどのくらいなのか、豊作なのか平年作なのかもなかなか分かりづらいのです。

 24日に刈り取ったのは今年初めてお預かりした田で、この田の収穫は全量地主さんにお届けする約束でした。昨年まで作っておられた農家のお話では、毎年8俵半ほど持って行っておられたとか。

 田植えが普通より遅いと収量は確実に落ちます。この事は地主さんにも説明してあるのですが、その方が米は旨いと言うこともご存じでしたので、理解はして貰えると思ってはいても、やはり収量も気になるところ。今年お届け出来たのは8俵と24kgでした。

 27日にコシヒカリの収穫を終え、例年なら引き続いてこしいぶきの刈り取りになるのですが、今年は何故かこしいぶきの登熟が進まず、なかなか取り入れには至りませんでした。彼岸花の写真を写したのが9月29日。例年だと彼岸の頃に忽然と姿を現し、しかも葉が出ないでいきなり花が咲き始めるので異様な感じがするのですが、季節の移ろいが此処でもおかしくて、この時点ではまだ咲き始めたばかりでした。

 7日に稲刈りをしていてコンバインが壊れ、お盆明けにお得意先農家から貰ってきた古いコンバインを引っ張り出して急場を凌ぎましたが、続いて9日には伯父が98歳で亡くなり、それでも稲刈りの心配をしないでも良いほど、ゆっくりとしたペースで仕事をしていました。18日には滋賀羽二重糯を刈りましたが、糯米専用に使おうと思っていた古いコンバインを急遽こしいぶきに使ったので、籾が混じらないように半日掛かりで大掃除。同じく貰ってきて組み立てた乾燥機も、糯米専用にして風だけを送って何日も掛けて乾燥しています。コンバインも乾燥機も、いずれもかなり使い込まれた古い物なので、修理や調整が必要で乾燥機に至っては、部品の交換までしました。

 少なくとも30年は経っているかなと、修理に来てくれた農機具屋の店員さんが言った程。とても修理部品が有るとは思えなかったのに、彼が電話で社長さんに尋ねると、部品は新品で手持ちしていると即答が返ってきたとか。たまたま数日前、倉庫の隅に有るのに気付いたばかりだった様で、捨てずに残しておいてくれた社長さんに感謝・感謝。実は彼は40年前、私が中学校で講師をしていた時の3年生なのです。

 14日・21日と2週連続で、土・日に大阪の大学でスクーリングを受けるため、佐紀子が
裕大を連れて帰ってきました。お盆に帰って来た時には人見知りをするように、裕大は滅多に私の側には来なかったのですが、段々と慣れた様で今回は、夕方帰って来るなり走り寄って来て、「だっこ」をせがんだのにはこっちがびっくり。

 佐紀子の説明ではようやく裕大は、安曇川の私と安城の五十嵐さんの、二人の「ジィージ」が居ることを理解したようです。その内に私は、「安曇川の祖父ちゃん」と呼ばれる様になるんでしょうね。

 21日、家の側の苗代跡地の稲刈りをして、後は酒米の山田錦を刈り取れば今年の稲刈りはお仕舞い。「秋になると、あと1反くらい有っても良かったと思うなあ」と、毎年の様に母が言っていたのを思い出します。秋は収穫の喜びと、稲が田んぼから無くなる寂しさとが入り交じって、毎年の事ながら何となく複雑な心境になります。今年の稲作を反省し、来年の米作りを今から模索していますが、滋賀県肥料商業組合の食味検討会にも出品して、客観的な反省材料も揃えようと考えています。

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