平成18年3月

 3月4日付けの京都新聞に、母の記事がが掲載されました。京都新聞の運動部長だった井上年央さんが紹介して下さったもので、取材に来られた記者とカメラマンの方は帰りに、「楽しかった」と言って下さったのでちょっと安心しました。

 幾ら元気と言っても23日で93歳。毎日生活を共にしていると、数年前まであんなにしっかりしていたのにと、ちょっと気になることが多いこの頃なのです。それでも食事は毎日我々と同じ物を食べ、朝は風呂の掃除をし洗濯物を干し、夕方には洗濯物を取り入れて風呂を沸かし、留守番は十分にしてくれる有り難い存在なのですが。

 10日から妙高高原スキー場で始まったクロスカントリのジュニアオリンピックには、全日本スキー連盟から派遣されてアシスタント技術代表を務めました。昨年秋の技術代表(TD)クリニックでは、派遣されたTDがコースを回らないので苦情が出ていると言われ、左膝を痛めて此処何年かスキーに乗っていないのでちょっと心配でした。国体で練習するかと思っていたのですが、総務で行って今年はアルペンを担当。全く余裕がなくて、終日宿舎のマイクロバスで選手の輸送に当たっていましたから、余計気になっていました。

 取り敢えず現地に入った9日の夕方、ゆっくりとコースを回ったのですが、選手なら15分ほどで回る5キロコースを、1時間近く掛かる始末。これで毎朝コースの点検をしなければならないのなら、大変な事になるぞと思っていたのですが、幸い技術代表の徳武さんはまだ若く、指定ジュリーで来た私より1回り若い尾坂君や佐藤君も、ジュリー室が空になるのは不味いからと留守番を任せてくれました。最年長のASSTDに対する彼らの心遣いに、感謝感謝。

 宿舎はむつみ荘と言う旅館。池ノ平ホテルの料理長だったご主人と、大女将だった奥さんが2年前に開業された宿。最大でも18人と言う収容人数で、非常に質の高い料理でとても美味しく、この宿を用意して下さった地元の実行委員会の方にも、感謝。

 学生時代、インカレの時の宿舎を3年間お願いした、新赤倉スキー場の美雪荘にも寄って来ました。4年前の妙高国体の折りにもお寄りしましたが、お二人とも相変わらずお元気で安心しました。スキー客が減り客単価が押さえられ、取り分け平日には殆どお客さんが見込めないとの事で、経営は楽では無いとおっしゃっていました。

 今年も春の訪れが早いのか、3月になって急激に気温が上がって来ました。天候は不順で雨も雪もまだまだ降りますが、種籾の消毒をし苗作りの準備がぼちぼち始まり、今年も……と思っている矢先に2軒の農家から、田を作って貰えないかという相談が持ち込まれました。お一人は小作して貰っていた方の引退で作り手が無いから、そしてもう一人は永年のお得意先農家ですが、息子さん夫婦が市役所にお勤めで後継者としては見込めず、ご自分も私より1回り以上年上で引退を決意された様です。

 昨年引き受けた田を合わせると2倍の面積になる上、圃場整備が出来ていない小さな田が多く、作業性を考えるとお引き受けしたくは無いのですが。私の世代はまだまだ現役ですが次の佐千夫の世代で、農家を継ごうと言う者は殆ど居りません。我が家で引き受けなかったら、恐らく誰も作らない田が家の回りに増えて、草が生えるのは目に見えています。少々の無理は承知で二人で頑張って、美味しいお米を作ろうと思っています。

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