平成元年 1989年 10月
  この冬は大雪などと言う年末の長期予報も見事に外れ、各地でスキーの大会を中止せざるを得なかった程山に雪が無く、久し振りに参加した国体冬季大会も、極寒の地旭川と言うことで覚悟をして行ったのに、拍子抜けするほどの暖かさでした. 山の雪が少ないことから、一時は田植え時の水不足も心配されましたが、天が帳尻を合せるかの様に雨を降らせ幸いでした。我家の田植えも5月31日に無事終了です。
 4月.新学期が始まり、労働組合の賃上げ闘争のニュースが流れるころになると、我家でも春闘が始まります。その第一段階はモミ種の蒔き方を巡ってなのですが、丁寧にまんべんなく蒔かないと、田面へ植えたとき欠株と呼ぶ植え損ないが出て、第二段階のトラブルを大きくしてしまいます.モミ種は自家採取せず、毎年日本一の種モミ産地である富山県の、庄川町農協から購入していますが、その様な品質の良い種モミを使っていても、私の様に極端に播種量が少ないと、欠株が増え、第一格好が悪いと言い張り、どうしても余計に種を蒔きたがる年寄りと、ケンカに成るわけです。
 普通は育苗箱に120〜220gの種モミを蒔き、18〜25日間育て本葉2〜3枚で植えますが、私は10年余り続けたスジ蒔きも止め、モミの量も毎年減らし続け今年は40gをパラ蒔きにしました。内心不安感も無くは無かったのですが、先ずは今年の春闘第一段階は私の完勝でした。育苗期間は35〜50日。本葉4〜6枚に成ってから田植えをします。苗半作と言う言葉が有ります。丈夫な苗を作るのが先ず第一と考え、毎年減らして来た播種量も、この辺りが限度の様に思われます。
 さて田植え後に待っている春闘の第二段階は完敗でした。多少の欠株は収穫には関係ないし、むしろ風通しが良くて都合が良いんだと何度説明しても納得せず、1反歩を1時間余りで植えた田に、半日以上も掛けて補植をしてくれた、77歳になる母に脱帽。
 「太陽と水とそよ風の贈りもの」と表現した、仲間の肥料屋さんがいます。稲を健康に育てるコツを現したものですが、丈夫な苗を2〜3本ずつ、普通よりもだいぶ粗く植えることで対応しています。勿論それだけで出来るほど、低農薬・有機栽培は簡単では無い事はお分りいただけると思います。何よりも大事なのは、良心に掛けて意地を通すことでしょうか。自分では使わなくても、ヘリコプターによる農薬散布が一般的に成っている今日、幸いに私の地区だけが、農薬の空中散布をまぬがれる事に成って3年目になります。これまでも除草剤だけは使っていましたが、百姓本人の意に反して空から散布された農薬(農毒と呼んでいます。売っている肥料屋がこんな事を言うのはあかんのですが)の毒気も、ぼちぼち抜けているかと思っています。そのせいか、春先の生育は極めて順調。私の一番好きな素晴らしい新緑色で、秋の収穫が心待ちされる程でした。
  8月上旬に行われる、ヘリコプターによる農薬の一斉散布も、住宅地の回りでは行わないと言う事で、殆どの田がその範囲に入る我家では、なるべく農薬を使わないで米を作ってやろうとやりはじめて今年は3年目。
  ストーンピッカーと言う名の石抜き機を入れ、米に石等が混じらないようにしていますが、更に米をモミのままで貯蔵し、必要に応じて精米出来るようにしました。その為にモミから精米出来る、電子籾精米横も用意致しました。胚芽精米とまではゆきませんが、胚芽の付き具合も多い様ですし、何よりこれでまず梅雨期以降の品質の低下にも、かなり対応出来るものと思っています。
 

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