平成6年 1994年 9月
  長い長い、暑い暑い夏がようやく終わって、朝夕の風に涼を感ずる様に成りました。異常気象と一口に言いますが、朝の陽射しの厳しさから、これはただごとでは無いと感じているのは、私だけでしょうか。この一年間の天候が異常気象であったなら来年は、昨年の長雨や今年の猛暑の様な極端な天候には、ならないこ考えるのが普通でしよう。しかしながら、もしもこれが異常で無く通常の、正常気象であるとすれば大変な事になります。
 幸いに私の住む安曇川町は、その源流が京都市の北部にまで遡れる、滋賀県では最大の流域を持つ安曇川が形成する三角洲の上に位置し、もともと水には恵まれています。その上戦後間もない頃から、安曇川沿岸土地改良区が、安曇川に合同井堰を造り、平野部に水路を張り巡らして田畑に潅漑用水を送り、更に奥山ダムを建設して水量確保に努めて来たお陰で、水の心配をするここ無くこの夏を乗り切りました。
 手前味噌になりますが、改良区の理事長として、この事業をやり遂げてくれたのが、私の母の長兄・北川佐十郎でした。明治41年生れで、今も元気に暮らしております。
 さて、熱帯植物の様に思われている米ですが、原産地は中国の雲南省ともいわれ、どうも今年ほどの暑さには適していないようです。日本では九州よりも北陸や東北地方に良質米の産地が多いのも、その為でしよう。
 とりわけ夜の気温が下がらないのが応えました。人間でも寝苦しかったのですから、お分かりいただけると思いますが、昼に出来たデンプンを夜の内に消費し、結果的には余り太らない小粒な米が多いようです。とりわけ土造りを怠り、そのうえ安い肥料で手抜き稲作をしたような田は、一番先に枯れ上がり収量も上がらなかった様です。
 逆に言えば、昨年・今年と続いた異常気象の下でも、きちんと田を作っていれば稲は応えてくれると言う、当たり前の事が確認できた、そんな年でした。もっとも、除草剤を一回だけしかやらなかったので、田によっては草がひどく、刈り取りに苦労をしました。毎年の事ながら私の地区では、ヘリコプターによる農薬散布も無く、しかも有り難いことに高温と水不足による乾燥で、病気も虫も何も出ず、農薬のメーカーや問屋が嘆く程の年でしたから、残留農薬の問題だけは私で無くとも、ありません。
 一年間の収穫全部を籾で貯蔵し、必要に応じて精米してお送りしていますが、それでも品質の低下は免れません。新米の味をどうすれば一年間、余り落とさずに貯蔵できるか。海上輸送のコンテナの中古品を購入し、エアコンを入れれば良いのですが、我が家にはまだ、人間様のエアコンも稼働しておりませんので。
 ともあれ、今年の「コシヒカリ」「ひとめぼれ」「滋賀羽二重」をお楽しみください。来年の米作りの励みに、ご感想をお聞かせ願えれば、幸いです。

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