平成10年 1998年 3月
 2月21日から28日まで岩手県の安代町で行われた、第53回冬季国体スキー競技会に参加しました。長野オリンピックに参加した選手は流石に強く、我が方の選手達も頑張ってくれたのですが、個人種目では2位が1人、5位が2人で、成年男子のリレーが6位という成績でした。アルペンの選手が18人、ノルディックが16人。私が監督として受け持つのはクロスカントリー成年の部の8人ですが、その内の5人が入賞した事になります。
  個人戦ではわずかの差で9位と入賞こそ逃しましたが、リレーの1走を走った後藤忍君はスタート直後の混乱の中でストックを壊し、一度は最下位に落ちながら2位で帰ってきてタッチをし、次の渡辺博文君がトップを奪ってこれなら行けると思ったものの、最後は力尽きて後退。3走の大嶋次郎君がまた、1時はトップに立ちながらやはり競り負け、結局4走の柴崎智也君がゴールしたのは6位でした。
  女子のリレーも1走の後藤多佳子さん(岐阜県生まれで昨年後藤忍君と結婚)が、3位で帰ってきて、その貯金を京都生まれ京都育ちの、田中智子、蒔田絵美、塩貝聡子の3選手が頑張って頑張って使って、14位でゴールしてくれました。いずれも涙が込み上げてくるほどの感動を覚えました。
  帰路は、国体では私と同じくクロスカントリー競技で少年の部の監督を務め、岐阜で行われる高校選抜の試合に直行する光華高校監督の村上君と、岩手から東京まで7時間のドライブ。ヨーロッパへ派遣する研修生が講習している水元青年の家似夜中の11時に入って、まだ寝ないで待っていてくれた何人もの研修生の顔を見ながら、「どっかで会った事があるがサテ?しかし何でこの娘達がこんな所にいるのだろう?」と、考え込んでしまいました。「平井所長!お久しぶりです!」と、何人もの研修生達に挨拶されてようやく我に返り、ああ講習に来たんだったと認識したのですが、それでもまだ私の頭の中は99%スキーで、講習所長に戻るのに2日ほど掛かりました。
  3月3日には彼等を成田空港で見送り、ビザの関係で出発の遅れた6人とOB3人、更に国際農業者交流協会の職員3人と、招待して下さったドイツ大使館参事官のシュマルツさんのお宅に伺い、夜遅くまでドイツ料理を堪能させて貰いました。
  同席した秋田県の雲雀靖子OGは昨年4月にスイスから帰国し、今年正月15日の ’98青春メッセージ’に出場し、審査員特別賞を貰ったのですが、本番当日やその前後の様子を話してくれました。夏には出場者12人で海外旅行に招待されたそうです。
  種籾を水に漬ける作業が始まりました。雪が無いので農家の動きが例年より早まっています。夏は平年並みに暑くなるとのことで、期待しています。
 
 
岩手・銀河国体の京都府クロカンチーム。 前列右端が私です。 

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