平成11年 1999年 4月
 4月1日の夜に配達指定がされている荷物が、その日の朝9時頃に届きました。クール宅急便で、「ガラス」や「こわれもの」のシールが張付けて有って、しかも3人の子供の連名で長女が送って来るなんて、何が届いたのかさっぱり見当がつきませんでした。
 3時過ぎ、金沢で学生生活を送っている末っ子の息子が帰り、お姉ちゃんも帰って来たらと電話したとかで、続いて長女が帰ってきて1年ぶりに家族全員が揃いました。
 4月1日。私達の結婚記念日でしかも銀婚式になるのでと、相談してワインとワイングラスを贈ってくれたものです。帰れないかも知れないからと手紙が添えて有りましたが、電話で話しているときにポロッと言いそうになって、困ったと書いてありました。1日まで内緒にしておいたようです。25年過ぎたのかという実感は比較的薄いのですが、子供たち3人が揃うとマアマアかなあと思います。
  農作業が始まりました。3月末までスキー場へアルバイトに行っていた長男と、肥料の配達の合間を縫って籾種を苗箱に撒き、苗代作りをしています。もともと仕事が遅れていた上に天候不順で田が乾かず、例年よりも1週間程度の遅れです。もっとも今年から、秋の農作業が終わるのを待って出掛けていた、欧州派遣農業研修生の講習を後輩に譲って、派米農業研修生の和歌山講習に専念するつもりでいますので、10月の農作業時間は大幅に取れる筈で、春の農作業の開始を遅らせて少しゆっくりしています。
 実は、私の周りの農家の様に田植えを連休の頃にすると、コシヒカリの穂は7月末から8月初めにかけて出ます。そうすると一番暑い夏の陽射しをまともに浴びてしまい、美味しい米にはならないのです。出来れば30度を越える様な強い陽射しは避けられる様に、田植えを5月末まで遅らせているのはそのためですが、秋の農作業に追われるのが辛い所でした。鉄骨の小屋もそれまでには完成出来ると思いますし、従兄に預けてある新しい乾燥機を持って帰って来ると、仕事は大幅に楽になります。
 天候の振れの幅が大きいようで、夏は日照り続きとの予報も有りますが、台風も含めて秋の天候が気掛かりです。人事を尽くし後は祈るのみ、といった所です。

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