平成11年 1999年 5月
  5月1日は、例年なら田中郷の例祭なのですが、昨年からウイークデイでは人が集まりにくいとの理由で、宵宮が3日・例祭が4日・後宴祭を5日に変更。それでもなかなか人が無く、渡し番に当たる今年は我が家から、二人の息子がご奉仕させて頂きました。最初は佐千夫だけのつもりだったのですが、馬に乗れる者がいないからと須婆使という大役を仰せつかり、連休で休めるからと言う次男の佐利も呼び戻し、露払いに出ました。今月、雨の降ったのはこの日だけだったと言えるほど、後にも先にも無い程の大雨降り。佐千夫は9年振り2度目の大役、佐利は終わるとすぐ金沢に帰る慌ただしさでしたが、幸い2人とも嫌がらずに役目を勤めてくれて、ほっとしました。
  田植えが例年通り、コールデンウイーク前から始まりました。今年は29日までが天候不順で、とりわけこの日に植えた人は、風と雨で大変でした。幼少な苗が田の中に植わっていても、根が出るまでに風で乾いて、水分不足でよれて縮みあがってしまいます。
 それでも、田植えは他人と競争するかの様に、この期間中に植えなければならない様にして、大半の農家が農作業を終えてしまいます。5月中旬から下旬に田植えをするのは、町内でも有数の大農家と私だけになるのは、これも例年通りの風景です。
  20日、全国農業改良普及協会が、開発途上国から農業の専門技術家を招待し、日本の農業の実情や普及活動を知ってもらい、それぞれの国での参考にしてもううというプログラムに、英語で話しの出来る農家ということで呼ばれて、東京へ行って来ました。トマトとメロンを作っている静岡の松本君、梨を作っている千葉の藤代君と3人でしたが、15ヶ国から、大学の教授や講師・農業局の副局長や課長という肩書きの人達ばかりが来ておられ、中でもエジプト・エチオピア・シリアの3人が一番良く質問されたのですが、強烈な訛りのある英語。ファルム・ふぁるむと連発されるのがファームだったりで大変でした。
  少し苗が短いので伸びるのを待っていましたが、23日にマキノ町で例年通り、酒米・山田錦を皆で植え、順次ひとめぼれ・コシヒカリと田植えをしてゆく予定です。

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