ブータン便り









 青年海外協力隊・JICAの隊員としてブータンへ赴任した、派米農業研修OBの岡山智彦君からメールで、現地の事情を伝える写真やメールをHPにアップする許可が届きました。これまでの分も併せて載せておきます。
2013/1/29
  こんばんは。写真、楽しんで頂いたようで、私もうれしく思います。
  ここタシヤンツェはブータンの一番外れに位置しているだけあってか、ブータンの中でも特に時代に取り残されているような所が多いような気がします。まるで、日本の江戸時代から昭和初期にかけてのような・・・。私も写真でしか見たことのないようなものがたくさんあります。

  でも、長くここに居るにしたがって、それを初めて見たときの感動というものが薄れてしまいそうにも思いますので、
私は いつもカメラを離さず、気にかかった物をすべて写真に残すよう心がけています。もちろん、写真だけでは残しきれないものもたくさんありますが・・・。また、その写真の少しでも、日本の方の心に、脳裏に響くようなものとなるのなら、なおさら素晴らしいことと思います。平井さんさえよろしければ、是非、ホームページに載せていただいて、より多くの方々に、見ていただければと存じます。よろしくお願いいたします。
2013/1/28
こんばんは。
  またまた返信が遅くなり、誠に申し訳ございません。一昨年の秋、ブータン現国王夫妻が訪日されてから、日本ではブータンブームがまだまだ続いているようですね。平井さんのご覧になられた番組に少し関係のありそうな写真、昔懐かしいような写真をピックアップしてみました。是非ご覧ください。

  ちなみにニカチェ川は、水が綺麗でチュル(川海苔)で有名です。

  ルクチェという村は、ちょっとわかりませんが、ルクブジという村が、ニカチェの少し東、トンサよりにあります。
ガイ ドブックによると、この村にも大蛇の伝説があるようです。

  首都ティンプーから東の、ブータン東西縦貫道には、5つの峠があります。
西より、ドチュ・ラ(3150m)、ペレ・ラ(3360m)、ヨトン・ラ(3400m)、トゥムシン・ラ(3740m)、コリ・ラ(2400m)です。
それぞれの峠は、だいたい各県の主要都市の間にあります。
ティンプー - [ドチュ・ラ] - トンサ/ワンデュ・ポダン - [ペレ・ラ] - トンサ - [ヨトン・ラ] - ブムタン(ジャカル) - [トゥムシン・ラ] - モンガル - [コリ・ラ] - タシガン
  ちなみに、唯一の国際空港のあるパロから西のハへの間には、富士山よりも高いチェレ・ラ(3800m)があります。

  タクツァン僧院は、パロの谷の北にあり、ブータンで最も有名な観光地となっています。
チュル(川海苔)

ルクブジ村

ドチュ・ラ よりヒマラヤを望む

トゥムシン・ラ よりヒマラヤを望む

チェレ・ラ よりヒマラヤを望む

タクツァン僧院

脱穀 - 1

脱穀 - 2

乳搾り

バター作り

機織り - 1

機織り - 2

紙漉 - 1

紙漉 - 2

2012/11/25
こんにちは。お元気ですか? またまた、ご無沙汰しております。
  さて、私は今月7日、ブータン国の首都ティンプーより、車で3日間かけて、任地であるここブータン北東部のタシヤンツェに赴任して参りました。そして、つい先日、ようやくインターネット環境が整いましたので、早速、ご連絡差し上げた次第です。
  ここタシヤンツェに赴任して、早や2週間が経とうとしていますが、ここでの生活にも、職場の環境にも少しずつ慣れ、ボランティア活動もそろそろ本格的に始動といったところです。

  さて、ここタシヤンツェへは、通常、ブータンを東西に横切る唯一の国道を、バスか車で来るほかはありません。国道といっても、日本のような立派なものではなく、工事や土砂崩れなどで舗装されていないところも多くあり、また舗装されてはいてもデコボコだったり穴だらけで、どこでも対向車との行き違いの折には路肩に大きくはみ出す必要があります。

  トンネルの全くないブータンの道路は、急峻な山肌を縫うように道路がつけられていますので、国中どこも坂道で、かつ九十九折、平坦で真っ直ぐなところはほとんど見ることがありません。そしてタシヤンツェへは、ドチュ・ラ(3150m)、ペレ・ラ(3360m)、ヨトン・ラ(3400m)、トゥムシン・ラ(3740m)、コリ・ラ(2400m)という、ブータン東西横断国道の代表的な5つの峠を越える必要があります。峠と峠の間にはヒマラヤ山脈の南麓を南北に切り裂く深い谷があり、それぞれの谷に主要な町が点在しています。ティンプーから先、東へは、ワンデュポダン、トンサ、ブムタン(ジャカル)、モンガル、タシガンという町を通り抜けて来ることになります。

  標高の高い峠付近や高地から川のある低地へ降りていく道の多くはとても急峻で、道の山側はほぼ垂直の壁、場所によっては車上にまで岩がせり出しています。落石や土砂崩れなどがあればすぐに通行止め、落石防止対策なんて採られていませんし、自分が通っているところに落ちてきたらと思うと・・・特に雨季の夏などには、落石や土砂崩れがよくあるとのこと。そして、反対の谷側はほぼ垂直の崖、もちろんガードレールなんてものも設置されていません。ドライバーが少しでも居眠りして道を外せば、1000m以上の谷底へ真っ逆さま、生きて帰ってくることはほぼないでしょう。毎年、死者が出ているそうです。

  そんな道を車に揺られること26時間余り、私の任地タシヤンツェは、東をインドのアルナーチャル・プラデーシュ州、北を中華人民共和国のチベット自治区に接したブータン北東部の辺境の町です。ブータンに20ある県の一つ、タシヤンツェ県の中心地、でも県庁所在地といっても、日用雑貨や食料品が買える小さな店が全部で20軒ほど、大型の電化製品は首都のティンプーや、ブータン南西部インドとの国境の町プンツォリンなどに行かなければ買うことができません。現在、ブータンは中国との国境を全て閉ざしていますし、タシヤンツェとインドとの間に直接の行き来はありませんので、車によるアクセスは、南のタシガンからの車道1本のみです。ここより北は、ヒマラヤ山脈を越えて渡ってくるオグロヅルの越冬地で有名なブムデリンという村があるだけです。

  タシヤンツェの標高は1750mと、ブータンの首都ティンプーや国際空港のあるパロよりも低く、ブータンの町では比較的多い深い谷底ではなく市街地のすぐそばを川が流れていて、山間の少し開けた盆地のような感じのところです。
気候は当初の予想と違い、思いの外寒く、赴任当初の11月中旬より朝夕は特に冷え込み、毎朝びっしりと霜が降りています。ここタシヤンツェの町は、ヒマラヤ山脈から流れ出る川が近いせいか、午後になると、冷たくそしてかなり強い風が、川を遡ってくるように吹き始めます。 いくら盆地といってもやはり山の国、東西は4000m近くあろうかという山に囲まれているため、朝は8時頃にならないと日が差しませんし、午後は4時には太陽が山の影に隠れて、一気に寒くなります。しかし緯度が低く、標高が高く、太陽に近いせいか、日中の日差しは結構強く、肌にジリジリ来ます。今は乾季のためか、これまで空が一部曇ることはあっても、雨が降ったことはありません。

  ところで私の住居は、町のほぼ中心部、ガイドブック「地球の歩き方」の写真にも本来なら写っています(残念ながら、新築のため写っていませんが)。ブータンではよくある形式の新築アパート?で、その2階部分の半分を使わせていただいています。大家さんは3階である屋根裏に住まれ、1階には、来年の2月に新たに赴任してくる青年海外協力隊の新隊員が入居する予定です。間取りは玄関を入った20畳近い広間(リビング)に、残りの部屋がすべて面しており、キッチン、バス&トイレ、ベッドルーム2部屋(各8畳くらい)、そして小部屋(物置に使っている)の、一人で暮らすには広すぎる全6部屋です。 ただ、日本からすると考えられませんが、ブータンの伝統建築はどこも隙間だらけ、入口のドアの下も2cmほどの隙間があり、窓枠もぴったり合っておらず、両手を使わないと鍵を掛けることができません。このように隙間だけのため、屋内で2台の電気ストーブを全開にしてもまだまだ寒い状況です。

  これまでの約2週間で、夕方から夜にかけて、停電が結構あり、お湯が沸かせず大変でした。あまり風呂に入る習慣のないブータンでは、一般家庭のバスルームには基本的にバスタブなんてものはついていませんが、うちにはシャワーさえありません。ブータンではギザという部屋の上部に設置した電気温水器で湯を沸かし、生活に使うことが一般です。水道は上水道なんて施設はありませんから、各家が山の沢からホースで水を引っ張ってきて、その取水口と蛇口の高低差で水が出る仕組みです。当然のことながら、水は少し茶色く濁っており、たまに砂やゴミが混じります。基本的に飲み水以外、炊事、洗濯、体を洗う時にはこの水をそのまま使用しています。飲み水は電気ケトルで煮沸し、冷ましたのち、浄水器を使って濾過したものを飲んでいます。ちなみにうちのトイレは、ブータンには珍しく洋式です。

  大家さんもお隣さんも近所の方々もとても親切なのですが、上の大家さんのお宅には小さな男の子がいて、家の中を走り回る音や、料理や工事で物を叩く音がそのまま聞こえてきます。それはいいとして、天井の板には隙間があり、その振動のため隙間から砂が落ちてきて、私の部屋は毎日砂だらけ・・・。また、お隣さんにも小さな子供たちがいて、入口の扉にちゃんと鍵をかけておかないと、扉は半開きの状態になっているので、子供たちもいつの間にか自分ちの中に入ってきています。また、僕が住んでいる広さと同じ所に、5人以上住んでいるので、洗濯物は毎日、私の部屋の前まで占領され・・・。まぁ、この辺はボランティア活動の二の次、仕方ないことかと諦めています。でも、小さな子供たちはまだ学校教育を受けていないので、英語も通じなければ私の片言のゾンカ語も通じません。

  こちらの言葉は、タシヤンツェ地方独自の言葉がある他、地元の人々は日常、東ブータンでよく話されるシャショップ(ツァンラカ)語を使っています。もちろんブータンの学校教育では、国語であるゾンカ語と英語は、小学校から習い始めますので、こちら東ブータンの人のほとんどが、英語とゾンカ語も話せます。そして仕事上、ネパール系の労働者と関わることも多いようで、ブータン第3の言語であるネパール語を使える人も多く、またテレビで放映されるインドの番組の影響で、ヒンディー語を理解する人も多いようです。さらにはこの地方の少数民族、西隣の谷のルンツェ地方、東隣のインドのアルナーチャル・プラデーシュ州の言葉、そしてゾンカ語と文字(アルファベット)が一緒のチベット語もできる人もいて、つまりは、誰もが少なくとも2〜3の言葉は分かって当たり前、何というマルチリンガルな人々なのでしょうか。私は今、この複雑に言語が使われている地域の中でも、特に職場において最も一般的に使われているシャショップ語の習得を頑張っています。

  その私の職場は、自宅から徒歩約20分。南のタシガン方面から、町の入口の門をくぐって直ぐ右へ曲がり、九十九折を少し上って行った、町の全景を見渡すにはとても良い立地にあります。農場事務所の名称は、National Seed Centre Regional office Jachedphu farmといい、今から10年ほど前に設立したらしいのですが、昨年あたりまで7〜8年間放置されていたそうです。そのため、ここ一年ほどで事務所建物をはじめ、倉庫、作業場、灌漑設備、圃場等を急ピッチで再整備しているところで、施設には電気や水道、電話などが通っていないのが現状です。職員はカウンターパートの他、常勤の労働者が8名。

  出勤日は基本的に月曜から土曜日の週休1日で土曜日は午前中のみ(今は土曜日もフルで働いています)、勤務時間は、今の季節は、朝8時から午後4時まで(12時〜13時は昼食休憩)です。圃場はブータンだけあってすべて棚田、今は、比較的日当たりがよく、灌水のし易く、土壌の良い畑に、大根、カリフラワー、高菜、人参、豌豆、蕪などが採種のために植えられています。また、リンゴ、ナシ、カキ、スモモ、モモ、リンゴの苗樹も植えられています。そして現在、トラクターが畑に入れるよう2枚の畑を1枚に圃場整備中です。私も赴任直後から、石拾いに励んでいます。

  日本から贈られたパワーショベルにトラクター、そして何十年も前に日本から贈られたと思われるクボタの耕運機が頑張っています(パワーショベルは他の農場からの借り物)。予算はあまり充実しておらず、農機具は旧式で、数も少なくボロボロ、農機の燃料を買うこともままならない状況の様です。これから、この何もないところで、いかに知恵を絞って工夫をしながら、ここの人たちと一緒に頑張って汗水たらして、認めてもらえるだけの質的にまた量的にどれだけいい生産物を作り出していくかが今後の一番の課題だと感じています。

  長々と書き連ねてしまいましたが、私が参加している青年海外協力隊の活動の様子を、皆さんに少しでも知っていただくことで、何かを感じていただければと思いメールさせていただきました。よろしければ今後も、できるだけこちらの状況をご報告させていただきたいと思っております。それでは時節柄、そちら日本でも、日に日に寒くなっていく季節ですので、お体には十分気を付け毎日をお過ごしください。

2012/10/18
  私は今、首都ティンプーにて現地訓練中で、ボランティア連絡所というドミトリーで生活しております。ここはネット環境はさほど悪くないのですが、半ば公用の回線を使わせていただいている関係上、毎月の使用容量に制限があり、画像等については、画質をかなり抑えて送信させていただいている状況です。来月5日から任地であるタシヤンツェへ赴任する予定で、それ以降は個人でプロバイダー契約することとなりますので、現地にてネット環境を整えることが可能であれば、心置きなく使用できますので、しばらくお待ちいただけますようお願いいたします。それよりも、平井さんのホームページで紹介させていただけるほどの記事が書ければいいのですが・・・

  今度こちらでの仕事でお世話になる上司の方が冨安裕一専門家といい、まだお会いしていないのですが、派米研修のOBとお聞きしております。前職でもそうでしたが、本当に派米協会との強い縁に感謝すると共に、世界の農業の世界の狭さ?も感じる今日この頃です。

  昨秋のブータン国王ご夫妻訪日以来、日本ではブータンブームが続いていおり、テレビや雑誌などで、以前よりも簡単にブータンの情報が手に入るようになっていますが、こちらで生活してみないとわからないことや、皆様方が将来ブータンに来られた時に、何か役立つような情報をお伝えできればと思います。
  それでは、そろそろ事務所へ出かけなければならない時間となってきましたので、このあたりで失礼いたします。

2012/10/17
  メッセージありがとうございます。出国前にお伺いすることができず、申し訳ありませんでした。私の方は今のところ、特に大きな問題もなく、ブータンでの生活に徐々に順応しつつあります。

  ここティンプーは空気はもちろんのこと、山や街並みなどの風景がとても綺麗なところですし、また人々も少しシャイだけど、とても親切で、店などでも値段やお釣りを誤魔化されることも全くありません。ただ、世界一辛いといわれる料理と、時々発生する停電や断水の不便さなどにはもう少し慣れないといけないでしょうが・・・。最初はいろいろと心配もありましたが、あと半月ほど残されている現地訓練の間にできるだけこの国の生活環境に順応し、来月の任地派遣からはどっぷりと浸かって、私が関わる人々と同じところで活動を行っていきたいと思っています。

  これからの予定ですが、今週いっぱいは、ブータンの国語であるゾンカ語のレッスンがあり、来週はブータン国側主催のこの国を知るためのレクチャーを受ける予定です。そしてその週末に、ブータンで最も有名な?「タクツァン寺院」へのピクニックがあり、翌週はパロで1週間のホーム(ファーム)ステイです。時期的には稲刈りの季節らしいので、派米研修性OBとして、メキシコ人と競い合った経験を活かして頑張ってきたいと思っています。そして、11月5日に、任地であるタシヤンツェへ赴任する予定となっております。

  私への要請内容は、東部農業試験場タシヤンツェ種苗生産農場というところに配属され、野菜種苗、栽培、野菜種子生産技術、生産種子の保存管理技術、パッキングなどの方法に関する指導・助言、圃場整備・整地による効率的な圃場管理の模索・助言、近隣農家への野菜栽培方法の普及・助言となっております。いろいろな方のお話を伺うに、要請内容とは全く異なることもよくあるとのことですので、この通りの活動になるとは限らないかもしれませんが、派米研修の前後の時期に、種苗会社や県の農業改良普及センターでお世話になった経験を活かして頑張りたいと思います。

  また、私への要請の根拠となっている「園芸研究・開発プロジェクト」のリーダーが、冨安裕一さんといわれ、派米研修のOBだとお聞きしております。まだお会いはしていないのですが、駒ヶ根にいたころよりコンタクトを取らせていただいており、私の任地の状況もいくらかお聞きすることができました。私が赴任する11月は、これから冬に入るということで、野菜栽培に関してはまだ特にないので、落葉果樹の選定などをしておけばどうかとのご提案をいただいております。派米研修で、私は果樹専攻でブリュースターのCrane&Craneでお世話になりましたので、少しでもお役にたてればいいなと思っております。
  長々と取り留めなく書き綴ってしまいましたが、またご連絡差し上げます。


inserted by FC2 system