タッドの葬儀

  アメリカから訃報が届きました。1968年1月〜1969年6月の18ヶ月間。Green River College へ行った3ヶ月を除く15ヶ月の間、ホームステイをさせて貰って農業研修に励んだ、Washington州 Orting ”SASAKI-FARM”のタッドが、先日亡くなりました。広島県が故郷の日系2世で、91歳でした。
  知らせてくれた国際農業者交流協会シアトル支部と、タコマで研修中の米1・桜井淳子研修生が(4月末にSASAKI-FARMへ、レタスの植え付けを手伝いに行っており、Tadと話をして元気だと知らせてくれたばかりだったのですが)、葬儀の模様を写真に撮って送ってくれました。”SASAKI-FARM”に長期配属になった最初の研修生の務めとして、長期・短期を併せると100人近い、SASAKI-FARM配属の後輩研修生達に見て貰えるよう、タッドの葬儀のページを作りました。なお、下の農場の航空写真は、29回生・岡山の村松弘一君が送ってくれたものです。


【8/9 : ロンへ出したメールです。】

Dear Ron
 
  Had e-mail about Tad from some of the trainees who are now working in Tacoma area. Also, I got e-mail from mr. Yoshinaga from Seattle office, and mr. Yoshikawa from Tokyo office of the Japan agricultural exchange council. Felt so sorry. Had no word to say. Tad was as old as my mother and my father passed away 15 years ago but I feel like my father passed away again and finally.
 
 Hope to go over and attend the funeral but huge typhoon is now coming towards us. She will be above us tonight, within few hours. I was busy working to prepare, closing canvas top houses and put many shutter door of my house. Hope she will pass away without any damage. We had so much rain already and wind is now getting stronger.
 
 On Sunday, I am planning to climb the religiouse mountain in Nara. Mt. Ohmine is the only such mountain that no woman can climb. There is a temple on the sumit where I will pray for Tad with  goma-fire. 
 
 Hope I did not make any mistake to send this mail. 

     Sincerely,  Albert Hirai

【8/10 : ロンからのメールです。】

Dear Albert

 Thank you so very much for your words of sympathy.  My father was still sharpening all the knives until five days before he went into the hospital.  He said his back was hurting too much and was going to lie down. For five days he would not get up  and move or eat and drink much; so on July l7, I had an ambulance come and take him to a hospital. But he did not respond to well to them.
  On August 3,  he died in Puyallup at a nursing home. I am sure he just hurt too much and resigned himself to die.
  I cannot tell you how much I appreciated your letter.

          Sincerely Ron Sasaki


【8/11 : 桜井研修生からのメールです。】
 平井さん
  今日、Tadの葬儀に行きました。焼香も平井さんの気持ちを考えてみて私なりにしました。Tadは、とても安らかな顔でした。英語で、Tadの歴史を言っていたんですが、とても努力した人なんですね。いつも厳しく農作業に情熱をかけていたことと、家族を非常に大事にしていたこと、など伝わりました。
  孫のリッチと言う人が、天国で、奥さんが長い間待たせて、さびしかったと言っているに違いない、といってました。ビデオもところどころ撮ったので後で見せます。明日、写真おくりますね。
淳子

  長男のロンは判ります。私とは同い年だったかと記憶しています。余り変わってないですね。ロンの右、2人目に座っているヒゲが次男のマークでしょうか。ロンの左隣はヨリ。その左隣が次女のキャロル。さらにその左隣はこの姿勢から見て、間違いなくデニースでしょう。
  メールに添付して送ってくれた写真を何度も眺めていますが、残念ながら判るのはここまで。長女のメアランやロンの奥さんのフェイスも写っているかと思うのですが。
  最近の配属研修生で、ステファニー・ロニー・リッチーなどの孫達がどれか、判れば教えてください。


【8/12 : 桜井研修生からのメールです。】
  写真を添付します。赤ちゃんと一緒に写っているのと、一人で写っているのが一番最近のTadです。
  2時に式は始まり、参列者は、最初に座っていて、式が始まると、家族が棺桶と一緒に出てきて(結婚式の新婦が父と出てくるように)祭壇に到着すると、ふたを開け、故人の歴史の紹介、続いて、読経。宗派は浄土真宗西本願寺派でした。戒名はすみません、覚えられなくて・・・そして参列者全員の焼香が始まり、(昨日書いたように、とても安らかな眠りでしたよ。添付の写真では少ししか分からないと思うんですが・・)
  そして、孫のリッチと、多分娘さんだと思うんですが、故人へあてた手紙の朗読、お坊さんの、仏教の教えを聞いた後に、家族と故人は退場。ここまでで約2時間。その後、外に出て、故人を見送り。家族も誰もお墓までは行ってないようです。そして協会の食堂みたいなところで巻き寿司、お稲荷寿司、から揚げなどの日本食とハムやフルーツなどの盛り合わせが用意してあってみんなで食べて6時ごろに帰宅、という流れでした。とりあえず、式の報告まで。    
      淳子







思い出の写真集 1995年 30周年記念大会に参加した折りに寄って、写真を写しました。

1998年のクリスマスに。キヌが亡くなる直前の写真です。メアランが送ってくれました。


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