「還暦祝いの会」         2002年8月24/25日
 はじめに
  2002年の春、全く唐突に、「還暦祝いの会」をしたいから何時が良いか、日を設定して欲しいと言われました。家内共々招待してくれるといい、会場は和歌山。この言い出しが派米研修12回生の藤井栄一君。昭和52年度派遣・13回生の講習までは、派米講習を三重県農業大学校で行っていましたが、同校が2年制に移行するに伴い寄宿舎が使えなくなることで、14回生はやむなく長野講習と松山講習に振り分けて行って貰いました。15回生の講習から現在に至るまで、和歌山県かつらぎ町の「紀北青少年の家」で行っております。そして15回生の講習からずっと、講習助手を務めてくれて居るのが、講習所のあるかつらぎ町の隣町・九度山町の藤井君なのです。
  夏休みとはいえ、高校男子ハンドボール部の顧問をしている家内も、一緒にと言われると時期の設定が難しく、大会が済んでお盆明けならと8月、24/25日にしていただきました。24日は和歌山県のOB会総会で講演をしろとのことで、演題は相談の上「肥料商から見た農業及び農家」にしました。終わってからはOB総会恒例の、家族を交えてのバーベキュウ大会。次の25日には高野山の「花菱」で、他府県からの大勢のOBと昼食会。交流協会の古いコンピューターを貰って使っているのを知っている藤井君や、同じくOBで、私が欧州講習を担当していた時の講習助手・秋田の由利君などの呼びかけで、大勢のOBがカンパに協力してくれ、ノートパソコン(東芝・ダイナブック)とデジカメ(ニコン・クールピクス)をお祝いに頂き、忘れられない記念日となりました.。
  このホームページは、その頂いた還暦祝いに対するお礼の気持ちで作っております。 昼食会の日の模様を、宮村潤君(14回生)が写真に撮ってくれました。
  和歌山県国際農業交流協会 のホームページにも、両日の写真を会長の伊藤雅秋君(12回生)が載せてくれております。青文字の部分をクリックして頂ければ、接続します。





「還暦祝いの会」 お礼と報告
  このお礼状。準備だけはしておいて、結局出せずに終わりました。お祝いに頂いたコンピューターとデジカメで、講習の様子を報告できるよう、ホームページを作ると宣言。しかしながら時間も無く、いざ始めて見ると解らない事ばかり。せめて少しは目鼻が付いてからと思うと延び延びになって、年を越して別の文章を作って送らせて貰いました。
  ホームページは、派米農業研修6回生の後輩、岐阜県大垣市の山田幸隆君の援助と励ましが無ければ、到底完成しなかった事と思い、感謝しています。文章にはこういう場で公開するにはふさわしく無い表現も有りますが、ホームページを作る事になったいきさつなので、他の頁に書いた物と二重になる部分にも目をつぶり、敢えて載せておきます。
 「俺、還暦だって?」               2002/9/15
  12回生の藤井君から寝耳に水の様に突然、「還暦祝いの会」に夫婦で招待するからと言われた。確かに60歳。昭和17年1月22日が誕生日だから、間違いない。事実子供達からは、外出用の軽い冬の上着と臙脂色のワイシャツを贈って貰った。しかしねえ。まさかこういう事に成るとは。思いもしなかったよ。都合の良い日を教えて欲しいと言われ、俺の仕事よりも家内の方の都合でお盆明けにして貰ったので、参加したいが何でそんな忙しい時期にする? と言うOBも多かったらしい。直前まで来る事になっていて具合の悪くなった者も多く、幹事をしてくれた藤井君と宮村君は、乾杯が始まるまでやきもきしたとか。
  24日は和歌山県のOB会総会。これにも出席して講演しろという。演題を問われ思案の末、「肥料屋から見た百姓」にした。会長の10回生・栗本君も幹事の藤井君もこれで了承。所が和歌山県の事務局からクレームが付いた。肥料屋の屋は差別用語なので、別の言い方に替えて欲しいと。しかも百姓の方は既に替わっていて、「肥料屋から見た農家」になっていた。県の方針なら仕方が無いが、何という情けない。それじゃあ俺に、和歌山では喋るなと言うようなもんや無いか。まあ逆らっても事務局の女の子に気の毒なので、渋々了承したが、何と当日会場に掛かっていた垂れ幕は、「肥料商から見た農家及び農業」という、カッコいい?演題になっていた。
  3時10分前に始めると言うので会場に入ると、中には名前の思い出せない者も居たが、顔見知りのOBが30人ばかり。講師の席に着く前に、机の前の「講師」の名札を、「おい、これは止めようや」と剥がした。俺の顔を見てニヤニヤしていたOB達が、これで大笑い。次期会長の12回生・伊藤雅秋君の司会で、まず紹介があって講演がスタート。話の切っ掛けを何にしようかと随分迷ったが、演題に県の事務局からクレームが付いた事から始め、百姓という言葉を大事にすることが、グローバルスタンダードと言われるアメリカ一辺倒の世界を、我々の手に取り戻す手段になるんだという趣旨で話を進めた。
  所が俺の事だからあちこち話が脱線して、纏め役を言われていた15回生・西垣君はお手上げだったらしい。余程ビデオを準備しようかと思ったんだがと嘆いていた。まあ多分、ビデオに撮ってあっても纏まらんやろう。話し言葉を文字にして、後で欠席した者に渡しても何も伝わらん。
  途中で何時まで話して良いのかと聞くと、会長の栗本君曰く、「申し訳有りません。講師謝礼が無いんですが、一応4時までと言うことで。」「分かってる。そやから初めから、講師の名札を剥がして有るやないか。」そんなやりとりをしながら、タダやから良いやろうと、結局4時15分まで時間を延長して話をした。皆の感想が気になったが、14回生の宮村君は、「まるでもう一度、講習を受けた様な気分」と言い、6回生の前山君は、「今までモヤモヤと自分なりに考えていたことが、すっきりと整理された」と話してくれた。
  終わった後は和歌山県OB総会恒例の、家族を交えてのバーベキュー大会。焼き肉(農業研修のOBだから、肉屋を経営している馬場君の様なOBも居るわけで)・野菜・果物(この辺は皆が持ち寄れば充分。しかも抜群に旨い)など一杯のご馳走。おまけに秋田から、欧州講習を担当した時の研修生・スイス女子OBの雲雀さんが、勤め先のパン屋で焼いて貰ったという、ピンク色のスイス風の大きなパンを贈ってくれた。なんでも還暦祝いでピンク色にしたらしい。俺は旧知のOB達と、家内はOBの奥さんや子供達と、8時半頃まで話し込んだ。
  明くる25日は高野山の「花菱」で昼食会。このお店は毎年秋の第1次講習で、高野山参拝登山の折りに昼食をお願いしているところ。主として和歌山県外の研修生OBに、還暦祝いの会として案内しておいてくれた。9時半過ぎに藤井君の家に行き、待っていてくれた宮村君の車に乗せて貰い、懐かしくなって「紀北青少年の家」に寄ってきたという、奈良の乾君と共に高野山へ。我々は慣れているが家内は初めて。カーブの多い山道に酔わないようにと助手席に乗せてくれた。11時過ぎに高野山・大門。車を金剛峰寺の駐車場に入れ、11時30分に予定の「花菱」。途中で出会ったり店の前に待っていてくれたり、既に会場に到着している者も居て、懐かしい顔に囲まれていささか興奮。
  家の農場から・経営する花屋からと、花束が2つ。農場から持ってきたというトマトやブドウ、あるいはこれも自家製の、お茶や和歌山名産の梅干しを貰ったり、七宝焼きのプレートがついた祝電が届いたり。秋田の由利君は、6年間欧州講習を担当した頃の講習助手で、息子を自称していて俺の事を「オヤジ殿」と呼んでくれるが、後輩の竹澤君に彫らせたという、俺の似顔絵を彫った消しゴム製のゴム版を贈ってくれた。乾杯の後、29人が一人ずつ自己紹介。
  会食が一段落して、お祝いにと宮村君から目録を贈られた。パソコンとデジカメを買って下さいと言うもの。ホームページを作り、講習の様子などを紹介できる様にして、お礼の気持ちを表したいと考えている。総勢260人を越えるOB達から、カンパが来ているとか。高野山で「三光社」という、全国のお寺やお宮さんの、「お札さん」を作る会社を経営されている藤井君のお兄さんから、壁掛けとごま豆腐のお土産を参加者全員に頂いた。俺は記念品として、15世藤野雲平氏の作る、「雲平さんの筆」を用意した。扇子と並び、我が町・安曇川町の名産品。
  散会後、時間の許す者は奥の院へ。道中色々話しながら歩いていて古参の0Bに、「目が優しくなっている」と言われた。派米協会が交流協会に変わり、女子研修生を講習する様になってから、俺が優しくなったと解説する者も居た。理由はそれだけや無い。年のせい? それも有る。
  高野山を下り、藤井君の家で夕飯までご馳走になり、10時半過ぎに無事帰宅。幹事の藤井君・宮村君を初め大勢のOBに祝って貰って、忘れられない2日間でした。
  なお、この祝いの会の模様を、和歌山県のOB会のホームページに載せてくれました。
和歌山農業交流交流協会の新会長・伊藤雅秋君の力作です。http://members.at.infoseek.co.jp/wakayamajaec/index.htm

近況報告  2002/12
  7月、京都府スキー連盟競技部長を辞任。しかし田中英一・新会長に呼び戻され、現在は総務部副部長。自分が一番信じていないのだから、信じられないと言うより呆れるやろうが、来年1月、イタリアで行われるユニバーシアード大会に、バイアスロン競技の日本代表チーム監督として参加します。
  ( 最終的には、コーチで参加の予定をしていた梅原弘史君が、勤務先の文部科学省の都合で監督で行き、私がコーチで行くことにしました。コーチは選手団には入るのですが、エキストラコーチという自費参加だと判明。これでは文部科学省から参加許可が出にくいやろうと、交代したものです。もっとも自費参加と言っても私が全額負担するのではなく、京都府近代五種バイアスロン連合の主立った顔ぶれがカンパしてくれましたが。 )
  なんで?って。当然の疑問。実は私は10年余り、京都府近代五種バイアスロン連合の副会長をしています。しかしながら一度も試合を見たことが無く、連合を設立するのに力を貸しただけの、全く名前のみの役員。理事長から会議に出て欲しいと要請され、東京でJOCの会議に出席したら、既に書類には、「監督予定者・平井貞夫」と書かれていました。選手が京都から3人大阪から1人で、監督・コーチ2名を京都から出すことになり、参加が決まって仕舞いました。得意の語学? も現地では、英語が殆ど通じないそうで。
  平成15年1月13日出発。27日まで現地。28日帰国。大会はイタリア北東部のタルヴィジオ。しかしバイアスロンはこの主会場から2時間余り離れた、フォルニ アヴォルトリという町。人口817人と言うからかなりな大都会?と思われる。一般の旅行ガイドブックでは場所も判らず、イタリア旅行協会公式ガイドを買ってようやく見つけた。普通の旅行案内には全く出て来ないし、予定では観光はミラノで2時間のみ。ヴェニスの北の方、殆どオーストリアとの国境近く。猪谷千春選手がオリンピックで銀メダルを取った、コルチナ ダンペッツオの近くです。

追 伸
  ノートパソコンは東芝のダイナブックにしました。昭和60年の11月だったかな。東芝からワープロが発売されるという新聞広告で、直ぐにスキー部の後輩のお店に電話。注文したのは京都で第1号だったそうです。この時のRUPO50F以来、何台も買い換えて愛用してきました。同じ東芝のダイナブックには、世界シェアbPと言われているので期待しているわけです。色々なモデルが有りますが、タイガースファンの私としては絶対に「Tシリーズ」と思っていました。この還暦祝いの話を企画し協力してくれた、和歌山の藤井・秋田の由利の両君は、熱烈なジャイアンツファン。任せておくと「Gシリーズ」の内から祝ってくれそうなので、自分で購入した訳です。
  デジカメはニコン・クールピクス 5700を購入しました。こちらも昭和42年、米国への渡航に際し、ニコンの水中カメラ・ニコノスを買って以来のファン。古くなりましたが一眼レフのニコマートも健在です。まだまだ使いこなすのに時間が掛かりますが、頑張ってホームページを作りますので宜しく。


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