農業研修生のOBで作っているメーリングリストに、選挙戦が終わり結果が分かってから書き込んだメールです。
松永の選挙戦が終わった。本人が政見放送で話しているように、最初は冷やかしだったかもしれない。関西では放送されないと言ったら、坂元君がビデオに撮って送ってくれたが、ビデオだけを見比べて選挙民が判断したら、間違いなく彼は当選しただろう。福岡県が本籍地で那須町には離農跡地に入植した。酪農専攻で渡米し帰国後自分の家を改築するのが始まりで、段々と建築の世界を勉強して1級建築士になり、初めての選挙を那須町の町会議員ではなく、国政選挙で経験する。彼にとっては変化が常のこの生き様の中で、変わらない世の中と反応しない周りの人達に対する挑戦がず〜と続いていた。「そんなこと、何年も前に俺が話したじゃないいか」と、若者と議論することが度々有ったという。「やっと松永さんの言ってたことが判って来ました。」と、何年も経ってから言われるとも。
今回の松永の挑戦も、何年も経たないと評価されないのかも知れない。2大政党時代という。元は皆一緒。かつては反体制的だった労働組合が、総評から連合に変わって民主党の支援に回った。この時点で今の社民党の凋落は決定的になった。松永は社民党公認の候補で民主党推薦だったが、これが逆で民主党公認・社民党推薦だったら、或いは様子は違ったかも知れない。立候補を決意してわずか一ヶ月。今ほど人の温かさを知った事はないと言いながら、数多くのボランティアの人達に励まされ、無事選挙戦を終えた松永の勇気ある行動を褒めてやりたい。立派だった。派米の同期生が衆議院議員選挙に立候補した。その事を誇りに思う。24,000票なんて凄いじゃ無いか。
農業の世界に出される補助金が問題視される。田舎に費やす税金が多すぎると声を上げる知事が、家族を次々と議員にする。皆に羨ましがられる程の補助金が貰えると言われている田舎の百姓に後継者が出来ず、批判を繰り返す都会の議員や知事は、息子や娘を臆面もなく立候補させる。会社でも家族を次々に社長に出来るのは限られている。同族会社ならともかく会社の私物化としての批判は免れない。政治の世界は何故毛並み?が重んじられるのか。結局本人の能力を見極める厳しい目が選挙民に無いからじゃ無いか。或いはそんなに厳しい評価が下されなくても、誰でも出来る気楽な商売なのか。
たまに田舎に来ると、「やっぱり田舎は良いですねえ」と言う都会人。しかしそこに住もうとはしないのも都会人。ならばその、素晴らしい田舎を何時までも残すために、税金を投入しても不思議では無いと思うが、それは都会人には許せない?自然破壊と平然と批判する都会人は、自分の現在住んでいる高級住宅地が、かつては狐や狸の遊び場であった事を知らないだけ。
|