2003/10/28
  27日に公示された衆議院議員選挙に栃木3区で、米2のOB・2回生の松永昌樹君が社民党から立候補しました。自民党と共産党の一騎打ちが永年続いていて、他に選択肢が無いのはおかしいと言い続けていたら、ならば自分で選挙に出れば良いじゃないかと言われてしまい、引っ込みがつかなくなった・・・・と言ってましたが。
  那須高原で酪農をしていましたが、私と同じ第2回派米農研修生として渡米。帰国後は1級建築士の資格を取得し、建築家として活躍しています。毎年送ってくれる年賀状には、前の年に手がけて建てた建築物が写真で載せてあって、彼の才気溢れる豊かな才能には何時も驚かされています。
 毎年秋、10月末の日曜日には、欧州講習に顔を出すのと五郎君の墓参を兼ねて出かけます。年に1度、この時だけしか会わないのに、それも11時に上山田温泉の「豊年屋」という蕎麦屋さんで会って、墓参りを済ませてから五郎君の実家の仏壇にお参りし、夕方別れるまでのほんの半日ですが、1年間の空白を感じたことが無いほど話が弾みます。市民運動をしていて大勢の仲間がおられる事は前々から聞いていましたが、衆議院議員選挙に出るとは予想出来ませんでした。今回も宇都宮大学の教授が、自然環境を守る立場で一緒に活動をしていた縁でご一緒でした。
  この日は生憎の雨。流山の欧州講習で語学研修のクラスを写真に納め、燃料を満タンにして昼前に出発し東北自動車道を北上。栃木県に入ってケータイ電話を掛けると、選挙事務所は矢板市に有るが今は黒磯市に向かって移動を始めたとの事。左手に地図を持って眺めながら運転していましたが、那須塩原インターで降りたのが間違いだったらしく、黒磯に入ったときには彼らは那須町に移動中。何とか役場前で追いついて一緒に駅前に行ったのは既に3時20分でした。「街頭演説をするからお前も話してくれよ。滋賀県から応援に駆けつけてくれたって紹介するから」と言われ、何とGパンにフリース姿でマイクを貰って応援演説をして来ました。
  もっとも選挙ポスターにも有るように、松永君自身もネクタイを締めず全く何時もと変わらない格好。淡々と自分の主張を述べている姿を選挙民の人達が、評価してくれる事を願っています。そして友人としては何よりも、12日間の長丁場の選挙戦を無事に戦い抜いてくれることを、第一に望んでいます。
  関西在住の私の所では、松永君の政見放送は聞けませんし見られません。この事を気遣って交流協会の受入業務課長の坂元君が、投票日前に見て欲しいと、ビデオに撮って送ってくれました。見る前からドキドキして、何と身内の学芸会でも見る様な感じ。いや〜、杞憂でした。素晴らしい政見放送でした。
  毎年五郎君の墓参りに行きその半日の時間に話をする、その時の雰囲気そのままに、気負わずしかも要点を押さえて、なぜ農業研修生のOBで今は建築家の松永君が、衆議院議員選挙に立候補したのか、彼を知らない人にでもとても良く理解して貰える様に思われました。選挙運動なんて自分の名前を連呼するだけ。このビデオだけで選挙民が判断すれば、彼の当選は間違いないと確信しています。

  同じような感想を持たれた方から、松永君の所にメールが届いた様です。非常に嬉しかったと転送してくれました。此処に掲載しても差し支え無かろうと思い、以下に勝手に載せました。
 「政見放送をみました。ちょっと感動して、ちょっと涙が出ました。僕は、社民党に対しては、細川政権の際、政治献金撤廃の法案に反対票を投じたのを見た時に愛想を尽かしました。ずっと菅直人の民主党を支持してきました。
 でも、兄が心身障害者であること、憲法9条改正反対であること、いまの民主党が政権奪取のみで個々の国民を見ていないのではないかという疑念から、疑問をもちながら駅頭で地元の候補者を応援してきました。
  そんな時、松永さんの政見放送をみました。普通の言葉が、普通の人によって語られていました。でも、僕がいまの政治に関して持っているのとおなじ危機感を感じました。僕は、どんどん大きくなっていく民主党との乖離を痛感しました。いままで、見ないフリをしてきたものでした。「よごれちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる」中也の詩が心をよぎりました。
 心を動かされている自分にびっくりしました。松永さんの言葉がもっと多くの人に届けばいいなと思いました。本当の言葉のちから。気づかせていただきました。お身体を大切にしてください。埼玉の片隅から蔭ながら応援させていただきます。埼玉県在住。二人の幼子の父です。」 
(お名前は伏せました:平井)



 農業研修生のOBで作っているメーリングリストに、選挙戦が終わり結果が分かってから書き込んだメールです。

 松永の選挙戦が終わった。本人が政見放送で話しているように、最初は冷やかしだったかもしれない。関西では放送されないと言ったら、坂元君がビデオに撮って送ってくれたが、ビデオだけを見比べて選挙民が判断したら、間違いなく彼は当選しただろう。福岡県が本籍地で那須町には離農跡地に入植した。酪農専攻で渡米し帰国後自分の家を改築するのが始まりで、段々と建築の世界を勉強して1級建築士になり、初めての選挙を那須町の町会議員ではなく、国政選挙で経験する。彼にとっては変化が常のこの生き様の中で、変わらない世の中と反応しない周りの人達に対する挑戦がず〜と続いていた。「そんなこと、何年も前に俺が話したじゃないいか」と、若者と議論することが度々有ったという。「やっと松永さんの言ってたことが判って来ました。」と、何年も経ってから言われるとも。
 
 今回の松永の挑戦も、何年も経たないと評価されないのかも知れない。2大政党時代という。元は皆一緒。かつては反体制的だった労働組合が、総評から連合に変わって民主党の支援に回った。この時点で今の社民党の凋落は決定的になった。松永は社民党公認の候補で民主党推薦だったが、これが逆で民主党公認・社民党推薦だったら、或いは様子は違ったかも知れない。立候補を決意してわずか一ヶ月。今ほど人の温かさを知った事はないと言いながら、数多くのボランティアの人達に励まされ、無事選挙戦を終えた松永の勇気ある行動を褒めてやりたい。立派だった。派米の同期生が衆議院議員選挙に立候補した。その事を誇りに思う。24,000票なんて凄いじゃ無いか。
 
 農業の世界に出される補助金が問題視される。田舎に費やす税金が多すぎると声を上げる知事が、家族を次々と議員にする。皆に羨ましがられる程の補助金が貰えると言われている田舎の百姓に後継者が出来ず、批判を繰り返す都会の議員や知事は、息子や娘を臆面もなく立候補させる。会社でも家族を次々に社長に出来るのは限られている。同族会社ならともかく会社の私物化としての批判は免れない。政治の世界は何故毛並み?が重んじられるのか。結局本人の能力を見極める厳しい目が選挙民に無いからじゃ無いか。或いはそんなに厳しい評価が下されなくても、誰でも出来る気楽な商売なのか。
 
 たまに田舎に来ると、「やっぱり田舎は良いですねえ」と言う都会人。しかしそこに住もうとはしないのも都会人。ならばその、素晴らしい田舎を何時までも残すために、税金を投入しても不思議では無いと思うが、それは都会人には許せない?自然破壊と平然と批判する都会人は、自分の現在住んでいる高級住宅地が、かつては狐や狸の遊び場であった事を知らないだけ。


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