大潟村の仲間達









2007/11/16〜21
  岩手県在住の米1・菅原春恵OGの結婚式に招待され、パジェロで秋田に向かいました。敦賀港を16日午前10時に出港する、新日本海フェリーのアザレアに乗船。2万トンという大きな船で、比較的穏やかな航海。秋田港に入港したのは17日の、午前5時50分でした。
  2等寝台を予約しておいたのですが、2段ベッドで電気のコンセントもない大部屋。部屋を出るときには持ち込んだカメラやコンピューター等の手荷物も心配になるし、照明も枕元の小さな蛍光灯だけでベッドも非常に窮屈。19,300円の料金に4,000円の上乗せで、1等に変更しました。
  個室で鍵が掛かり、洗面台ではお湯が出るしテレビがあり浴衣もある部屋には、2人分の寝具が用意されていました。机と椅子のある部屋ならなお良かったのですが、何故か洋室は全部廊下側で外が見えないとか。終日コンピューター三昧だったので、和室というのがちょっと不満でしたが、窓側で海も見え快適な船旅でした。お陰で普段はなかなか出来ないホームページの改修で、一日を過ごしました。


  秋田港には17日の払暁、無事到着。窓を閉めていれば、ビジネスホテルにでも泊まっているかのような感覚。エンジン音も静かで、時折の揺れに思わず「地震か!」と驚いた程でした。



秋田にオイルが出るとは知っていましたが、まさかこんな市街地で…。

  17日の結婚式は横手市の横手プラザホテルで行われ、その夜は湯沢の由利OBの家に泊めて貰いました。18日午後、大潟村に移動。野菜センターで岩井OBと落ち合いました。
  少し時間があるからと温泉に入ってから、隣接するホテル・サンルーラル大潟の中華料理店「コメット」で、秋田講習で岩井OBを支援してきたOB達の歓迎会に出席しました。大潟村の黒瀬村長は滋賀県のご出身。別の会合に出ておられたのですが、我々の席にも来て下さってしばしの歓談。OB達が中身の濃い農談会をしているのは、とても羨ましい光景でした。
  下の写真は、黒瀬村長を囲んでの記念撮影ですが、この時居合わせたOBだけが写っていて、遅れて顔を出してくれたOBも数名あり、この日は出られなかったからと、次の日に会いに来てくれたOBも1名。大勢の仲間に会えて非常に楽しい一時でした。


村長の黒瀬さんとツーショットです。

  18日は岩井OB宅に泊めて頂き、明くる日彼の農場を見せて貰いました。ちょっと農村とは言い難い雰囲気の住居地と、籾を乾燥調整する作業場は全く別の所に設定されていて、農機具を収容する農舎は圃場の中にありました。一箇所に集約され、一列に並んだ圃場は非常に魅力的でしたが、干拓地の宿命で排水が悪くぬかるむとのこと。岩井OBの圃場も半分は砂地で、半分が粘土質土壌だとの事でした。
  入植当時は10haでスタートし、数年後に増反分が5haあって合計15haの大型農家。昭和30〜40年代には、北海道以外では珍しい大農地・大農家でした。しかしながら大潟村は、誰かが離農しない限り規模拡大の出来ない、専業農家の集団。米価が下がり続ける中で、難しい局面を迎えているようです。
  左手奥の2棟が岩井OBの農舎。道路右手の田も所有地ですが、殆どの農地は農舎の向こう側に右手に延びている道路沿いにあり、上の写真で云えば地平線に沿って一列に、右手奥の方まで並んでいます。その風景が下の写真ですが、私の様に、圃場整備もされていない小さな田で百姓していると、見ただけで圧倒されて仕舞いますね。

  此処から見える道路右側の田が、別の農舎が小さく見える一番奥まで岩井OBの農地。一区画1.2ha程度の大きさというのも大潟村ならではですが、それよりも自分の家の田が一列に並んでいる方が、我が町ではとても考えられない光景。水の駆け引きと移動の利便性を考えると、干拓地ならではの素晴らしさです。
  八郎潟の水面は農地より2m高く、水門を開ければ何時でも水路に水が引けるとの事。水路の上流で水を取られると下流の田には水が入らない、我々の地域での夏場の水争いとは無縁の様です。土質は手前半分の田が砂地で、向こう側に行くほど粘土質になるとの事でした。
  地球温暖化のため、稲の出穂から登熟期に掛けての夏季の異常高温の影響で、我々の様な西南暖地での稲作が米質の低下に悩まされている事を考えると、干拓地ならでの苦労は有っても希望を持って、課題に取り組んでいるOB達が羨ましかったのも事実です。
  三菱のクローラトラクターは120HP。明渠堀りの作業機が付いていました。土質が粘土質でぬかるむ田では、暗渠排水と共に明渠による表面排水は欠かせない仕事です。



  丁度真ん中の辺りが粘土質(左側)と砂地(右側)の境目になり、田植えをしていてどうしても此処で、ハンドルを取られて仕舞うのだそうです。

  田植機は8条植。10条植の田植機では、重すぎて沈むとのこと。後輪が6個付いていたのには驚きました。年に因ってはこれでも沈んで、今年の様な天候不順の年には、粘土質の田の田植えには大層難儀する様です。何時田植機がスタックするか分からない田を毎日植えるのは、大変なストレスでしたとメールを貰ったこともあります。
  取り分け圃場の外周を植える時には、田植えの仕方にも因りますが周回する様に植えるなら、圃場の真ん中部分を往復して植える時と比べると縦横4辺を植えるため、普通の2倍の苗を田植機に積み込まねばならず、後輪が6輪であっても泥の中を掻き分ける様にして植えると言います。

  トラクターの後輪に、キャタピラーの様な補助クローラが巻き付いていました。これでもダメだと補助車輪を付け、クローラを三角形にして接地面積を大きくしていたと言います。それでも四輪駆動のトラクターに比べれば、駆動力で劣るのは否めません。
  無農薬・有機栽培に欠かせない、色々なタイプの除草機。雑誌で読んだり新聞で見たりで知ってはいましたが、実物を見るのは初めて。機械除草出来ない部分は手取りで対処していて、グループになって草取りに来られるおばちゃんが、大潟村の周辺農村に居られるとの事でした。除草剤を使わない稲作は、大変な労力を必要とするのです。
  今では生産されていないヤンマーの、中折れ前植え田植機の中古機を改造し、植え付け部分に除草装置を取り付けたものもありました。

  穫れ秋に籾を乾燥し籾摺りをして出荷する普通の農家なら、何台かの乾燥機がずらりと並んでいるだけですが、岩井OBのサンファームでは籾の貯蔵庫がずらりと並んでいました。乾燥の済んだ無農薬・有機栽培の籾が、トレーサビリティが容易に出来るよう、それぞれ圃場別に貯蔵庫で保管されていて、出荷時に籾摺りし精米されます。

  ライスグレーダーが2連で使われていて、中米が同時に抜かれているのも興味深い光景でした。無農薬・有機栽培米だからこそ、中米も有利に販売出来るのでしょうか。我々の所でもやっている者が居ることは知っていますが、中米の価格はそれ程高くありません。

胚芽精米専用の精米機.。左は減農薬栽培米用で右は有機栽培米用です。

  左の写真の発芽玄米と右の写真のお餅は、専門の業者に加工を委託しています。お餅の写真で、左側の「きねつきもち」は、のしもち。右側の「秋田餅」は切り餅で、いずれも搗き上げた餅が真空パックされていて、長期間の保存も可能との事でした。

  まとまった量の精米は有機米も減農薬米も、松沢農場のサンファーム専属精米施設へ持って行き、岩井OBが自分で精米をした後に持って帰って、他の米と同様に箱詰めされ、宅配便で出荷されています。

  野菜センターで岩井OBと昼食後、大潟村を後にしました。帰路、職員さんに許可を貰って写真を撮って来ましたが、このカントリーエレベーター公社は、岩井OBが大潟村のシンボルだと言うだけあって、大型サイロが80基建ち並んでいて圧倒されました。







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