平成15年度 米国派遣農業研修 和歌山講習所

 11月30日、和歌山市の和歌山県民会館で2次募集の研修生を選考し、合格した6名を加えて総計29名で第1次講習が始まりました。講習会場は昭和54年、第15回生の講習からお世話になっている、和歌山県立「紀北青少年の家」。
 
 ライトアップされた和歌山城。

紀州路の秋
 12月1日。2時から始める開講式に少し時間があるので、和歌山市からの移動の途中に寄り道をして、交流協会の吉川派遣業務課長を「串柿の里」へ案内。この辺りはお正月の飾りに使う串柿の産地。例年11月23日に四郷小学校で行われる「串柿祭り」の頃で、柿の皮を剥く作業が終わります。1週間遅れで見に行っ訳なので吊してある串柿は色が変わり始めていて、剥きたてのも有れば黒く仕上がっているのも有る毎年とは景色が違いましたが、斜面にへばり付いて建っている農家の庭先や道路際の、雨除けの屋根の下にずらりと並ぶ串柿は、相変わらず見事な風景でした。



 蔵王峠付近の秋

 堀越観音


 秋の色に染まった「紀北青少年の家」

 初日の夕食

早朝トレーニング
 5時30分から始まる朝トレのトレーナーは、14回生の宮村潤OB。毎朝往復1時間以上掛けて来てくれます。

 12月4日、奈良県西吉野村から西岡英史OBが、奥さんと子供さんと一緒に柿を差し入れに来てくれました。

トラクター実習
 5日、牽引免許を持つ須藤智彦・宮坂翼研修生と、和歌山県立農大にトラクターを借りに行き、トラクターの運転練習を開始。百姓仕事は天気次第なので、好天が続く限りトラクター実習に集中します。同時進行で英語の勉強も。



 トラクター運転練習の順番を待つ間も、0Bを囲んで英会話の練習をします。
 脇坂博司OBと。  藤井栄一OBと。

 日曜日の7日は好天に恵まれ、グラウンドの乾くのを待って昼前からトラクターの運転練習。皆かなり慣れて来て、来合わせた平成7年スイス派遣の竹内令子OB、昭和62年スイス派遣の山下千嘉子OBとも、ゆっくり話す時間がとれました。


農家派遣農場実習
  12月8/9日は大勢のOB達の協力を得て、1泊2日の農家実習を行いました。講習所近くのOB達は6時半過ぎに迎えに来てくれます。車で2〜30分の距離だけに送り迎えは有るが泊まりは講習所というケースが多く、逆に2時間近く掛かる有田方面へ行く者は、5時40分の電車で出発。最寄りの駅でOBの出迎えを受け、その日は実習農家で泊めて頂いています。

 写真は次の日に研修生を送って来てくれたOBの面々。


後列:木村、栗本、久保田、藤井
前列:西垣、栗本OB宅にいるタイの研修生・ヤー君、根来、宮村の各OBです。

外国人講師を招いて
 12月10日の夕方5時前、仕事柄世界中を飛び回っている超多忙な米2/12回生の根岸OBが、AETで桃山・粉河両町の配属されているJoeとEmmaの2人を連れて来てくれました。研修生達と夕食を一緒に食べる筈だったのですが、この日は「おでん」。さすがにこれは苦手だったらしく、講師室に用意した焼きたてのパンと、チリ・アルゼンチンから2日前に帰ってきた根岸OBのお土産、フォアグラ・トリュフ・キャビアをクラッカーに載せて、機嫌良く食べていました。実際に外国人と話をする機会は少ない者が多いので、英語を教える経験も豊富で滞日期間も1年半になる彼女たちとの会話は、貴重な経験になった事でしょう。






 百姓仕事は天気次第と言うのが我々の講習を運営する場合の基本姿勢。従ってトラクター実習も農作業も高野山参拝登山も、全て天気予報を睨みながら最終決定をします。1ヶ月も前に立てた当初の予定道りに行くわけがないので、講習が始まってからも変更を余儀なくされることもしばしば。

 今回は農作業実習を後ろにずらせた影響で、高野山参拝登山も12日まで遅れることになりました。早朝6時には出発し夕方遅く帰ってきて、途中の休憩時間にパンやジュースを食べたり飲んだりと言うのが我々のやり方。当然講習所の食事は断ってあったのですが、日程の変更に伴っては食事の予定を変えて頂けず、高野山登山前日の11日は終日、食堂での食事は抜きになりました。

 朝食は前日に買い出しをしておいたパンと牛乳。昼食は助手の藤井OBの手配で仕出屋さんの弁当に、秋田の前講習所長・岩井真二OBから昼前に届いた、大潟村名物のパンプキンパイがデザート。そして夕食は「ヨシギュウ」こと「吉野屋」の特盛り牛丼にケンチン汁。肉の苦手な千葉研修生のみは、サンドイッチでの晩餐となりました。



高野山参拝登山12月12日(金)
 12月も半ばに近くなって、出発時刻が6時では外は真っ暗。街灯を頼りに1回目の休憩地/朝食場所に向かいます。昨年完成した新しい橋を渡り、紀ノ川の対岸にある慈尊院の駐車場まで約40分。パンとジュースだけの立ち食い朝食です。ようやく少し明るくなりました。

 ここからは弘法大師が、当時女人禁制だった高野山から、月に9度母親に会いに下りて来られた山道、「高野・町石道」を歩いて「高野山・大門」を目指します。

 「高野・町石」は文字通り、幅30cm高さ3mほどの石柱が1町毎に建っていて、慈尊院が終点の180番。「大門」を超え「根本大塔」が起点になります。


 第2休憩地の丹生都比売神社には、途中の柿畑で「町石道」を見失って迷った分だけ遅れ、8時41分に到着。手水の使い方・神社のお参りの仕方も指示して、その後はやはりパンとジュースだけの軽食。

 最近の若者は贅沢になって、せめてオニギリにして欲しかった等と言う者もおりますが、来年6月にはパン食の国・アメリカへ行く自覚が無いのでしょうか。講習では日常の全てを、アメリカへ行くための準備と心得て運営しているのですが。

 最前列:
右が米2/12回生/藤井OB
左が米2/15回生/西垣OB

 藤井OBは25年前、和歌山講習を立ち上げて以来の講習助手で、実家は1回目の休憩地・慈尊院から徒歩3分の所にあります。西垣OBの家は、この2回目の休憩地の隣の集落。車なら5分の距離です。

 高野山は山全体が1つのお寺と考えられています。従ってこの「高野山大門」が、普通のお寺で言えば山門に当たります。
 
 つづら折れになった「町石道」を上り詰めると、道路を挟んで目の前に巨大な「大門」が出現し、初めて来た者は度肝を抜かれます。ここが一応の終着点と定め、後続の研修生達と握手をして記念撮影。

 天候は回復し日が差して来て、「お大師さん」のご加護を思ったほどでしたが、この時の気温が2度。

 雨の心配こそ無くなりましたが風も強く、思わず分厚い「阪神タイガース」のウインドブレーカーを着込みました。

 「仏舎利」が納められた「根本大塔」は高野山の中心。

 少し遅れ気味なので、此処では内陣に入るのは諦め、記念撮影をしたのみ。

 「金剛峯寺」の案内を、金剛峯寺で企画課長をしているスキー部後輩の山口君に頼んでいたところ、町石道の途中で「お待ちしています」とのメールが入り、高野山・金剛峯寺の説明や関白・秀次自刃の間を始め、それぞれの部屋のふすま絵の説明など、詳しくして貰いました。

 幡龍の庭  大釜の前で

 昭和52年、昭和天皇が金剛峯寺に来られた折りに料理長を務められた「花菱」さんで、精進料理の昼食を頂きました。講習中に何を贅沢なと思われるかも知れませんが、和歌山県国際農業交流協会のOB達の家で農場実習をさせて貰う、その2日分の食費が丁度この昼食代に見合うのです。我々は何度もこちらでお世話になっている上、昨年の八月に藤井・宮村OBが幹事をして、私の還暦祝いをしてくれたのもこの「花菱」さんでした。

 5種類の料理法(煮る・焼く・蒸す・・・・等)、5種類の味付け(甘い・辛い・酸っぱい・苦い・塩辛い・・・・だったでしょうか)、そして5種類の色彩り(赤・緑・黄・・・・)が精進料理の基本と聞いたことが有りますが。
 昭和天皇が金剛峯寺でお泊まりになった時使われた什器類が、店内に飾って有りました。











 最後尾を託した元気者の研修生2名が、最後を歩いて帰って来た研修生と講習所の玄関まで、ほんの20m程の所で雨が酷くなりましたが、何とかずぶぬれにもならず全員無事に帰還。記念撮影をしたのは午後7時前でした。

 この日の為にホームセンターで買って、初めて使った万歩計のデジタルカウンターは、53419をを示していました。歩幅を平均65cmとして35kmと言う所でしょうか。

 風呂上がりに計った体脂肪と内臓脂肪は、数日前の測定よりそれぞれ1%落ちていました。

柿畑の朝



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