自己紹介
氏  名 平 井 貞 夫
住  所 〒520-1217
滋賀県高島市安曇川町田中836番地
( 2005年1月1日 高島郡内6ケ町村が合併し、高島市となりました。)
Phone
 & Fax
0740-32-0126
e-mail f.s.hirai@ares.eonet.ne.jp
大阪市のブロッサムで
(06/12/9)
枚方パークで
(12/11/7)
  市町村合併で表記が変わりましたが、安曇川町田中は合併前には安曇川町大字田中でした。大字田中は明治時代で言えば田中村。安曇川町の中心で、戸数600 ・人口2000ほどの、かなり大きな字になります。我が家のある地区の小字名を南市といいます。役場や公民館・農協、小学校・中学校のある、戸数180・人口800程の集落です。JR湖西線の安曇川駅は、南市に隣接しています。上の地名をクリックして頂くと、平井肥料店を左上に表示した地図が出ます。右端に有る拡大・縮小画面で、適当な大きさにしてご覧になって下さい。
  家の周辺を「鍛冶屋村」と呼びます。条里制の跡もあり我が家の辺りは8条3里くらいになります。農業は荘園の時代から続いているらしく、もしかして私が作っている田も、1000年以上の歴史があるかも知れません。平井姓は佐々木信綱の子孫で佐々木師綱が、隣町の新旭町平井に住んだのが始まりと言われ、日本に2つある平井姓の一方だと聞いています。
  「鍛冶屋村」は寛永11年(1634年)より膳所藩領。延宝7年(1679年)より53年間は西代藩領。享保17年(1732年)より129年間は天領(幕府直轄地)。文久元年(1861年)から越前鞠山藩領。村高は元禄年間で121石3斗9升1合でした。明治7年に近隣の9ヶ村と合併し田中村となりました。「鍛冶屋村」という名はその昔、鍛冶師が居住していたことに由来し、宮津入道といわれた大和鍛冶宗忠が居住していたと伝えられています。燐家で我が家の母屋の平井英太郎さん宅がそうだといわれ、我が家は分家して私が13代目だとか英太郎さんに聞いたのですが。先祖には寛延3年(1750年)に亡くなっておられる方もいて、どうやら分家したのは江戸中期までさかのぼる様です。
  古くは6戸ほどの独立した小さな字だったようですが、明治22年頃に合併し現在は南市に入っております。戸数も少しずつ増え、現在は9世帯28名になりました。最高齢者は隣家の平井世津さんで97歳。平均年齢は59歳。誰一人病院などに入っていたり寝たきりだったりということの無い、元気者の「村」なのです。
 この写真は、北海道へ行かれた方が飛行機の上から、琵琶湖上空で撮影されたものを頂きました。写真左上から右下に流れるのが安曇川。中央上部は、陸上自衛隊今津駐屯地の「饗庭野演習場」。川を挟んで左側の河岸段丘の様な平野が泰山寺。この山裾の右端に白く見えるのが「梅の子運動公園グラウンド」。その少し左下に見える同じような白い部分が、「安曇小学校と安曇川中学校のグラウンド」です。我が家はこのグラウンドの少し右上に見えます。

経 歴    昭和17年1月  現住所にて誕生
        昭和41年3月  京都府立大学農学部農芸化学科 (土壌及び肥料学講座)卒業
        昭和42年6月  第2回派米農業研修生として渡米
         学科研修先  ワシントン州  Moses Lake : Big Bend Community College
                               Auburn : Green River College           
         農家実習先  ワシントン州  Orond : Auvil Fruit co.
                           (果樹農場 : リンゴ・梨・ネクタリン・チェリー)
                            Orting : Sasaki Farm
                            (野菜農家 : レタス・キャベツ・ほうれん草・大根・ネギ
                             ラディッシュ・キュウリ・ディルウィードなど20数種類以上)
        昭和44年6月  帰国 家業の平井肥料店を継ぐ  住友肥料・多木肥料、農薬・資材を販売

        昭和48年4月 1日   結  婚  子供は佐紀子・佐千夫・佐利の1女2男です。
        平成13年8月26日  佐紀子 五十嵐 禎裕君と結婚
        平成16年6月 8日  佐紀子に長男 裕大 誕生
      平成23年3月 1日  佐紀子に長女 ゆうな 誕生


母:きみ
孫の裕人を抱く美代
長女・佐紀子夫婦 長男・佐千夫 次男・佐利

関係する団体など
(社)国際農業者交流協会
  昭和44年、2年間の米国農業農業研修から帰国後、米国と欧州4ケ国への海外派遣農業研修生の渡航前講習を担当。平成16年、制度改革により講習所が閉鎖になり、退任しました。
 (社)国際農業者交流協会 監事 ・滋賀県国際農業者交流協会 会長 (H17~H24)
   米国派遣農業研修生    昭和44年~52年   三重講習所    (三重県農業大学校)
                    昭和53年        松山講習所    (愛媛県農業大学校)
                    昭和54年~平成4年 和歌山講習所   (和歌山県紀北青年の家)
   欧州派遣農業研修生    平成4年~10年    埼玉講習所     (埼玉県農業大学校)
   米国派遣農業研修生   平成10年~16年    和歌山講習所   (和歌山県紀北青少年の家)

京都府スキー連盟
  学生時代はスキー部とバスケットボール部に在籍。卒業後、京都府スキー連盟の競技部強化コーチを拝命。その後、競技部・総務部の理事・常任理事となり、平成18年7月の評議員会で連盟を退き、参与となりました。昭和49年、猪苗代で行われた国体冬季大会スキー競技会に初めて参加。平成18年の尾瀬国体まで、京都府選手団の総務とクロスカントリー競技の監督として、都合24回参加しました。
  経    歴  昭和45年5月1日~昭和53年4月30日  京都府スキー連盟 競技部強化コーチ
          昭和53年5月1日~平成 元年4月30日  京都府スキー連盟 理事(競技部・総務部)
          平成 元年5月1日~平成 8年4月30日  京都府スキー連盟 常任理事(競技副部長)
          平成 8年5月1日~平成14年4月30日  京都府スキー連盟 常任理事(競技部長)
          平成14年5月1日~平成18年6月30日  京都府スキー連盟 常任理事(総務副部長)
          平成18年7月1日~               京都府スキー連盟 参与

  公認資格  全日本スキー連盟  クロスカントリー競技技術代表
                       競技技術指導員 ・ 競技運営指導員
                       クロスカントリースキー検定員 ・ クロスカントリースキー指導員

                                              アルペンスキーは  SAJ 1級 です。)

京都府近代五種バイアスロン連合
  平成4年、京都府バイアスロン連盟の設立に参加。副会長を拝命。平成18年辞任。10周年を祝った平成14年には、国体のリレー競技で優勝するなど、我々にとって記念すべき年になりました。平成15年1月、イタリアのタルヴィジオで開催された、第21回ユニバーシアード大会冬季大会バイアスロン競技、日本代表選手団のコーチを務めました。

安曇川スキースポーツ少年団
  青谷武団長の呼びかけで結成された、通称スキスポ。松宮治夫コーチと共に設立以来30年。冬の活動はマキノスキー場で、青谷団長の実家である志賀屋さんの山小屋「ふる里」をベースに、毎週日曜日、小学校3~6年生の団員達とスキーをします。シーズンオフには毎週水曜日、安曇川町立総合体育館と安曇小学校のグラウンドで、トレーニングを続けていましたが、少子高齢化の影響で子供が少なくなり、スキーをしたいと言う子供が極端に少なくなって、2006年活動を終えました。
  下の2つは当時スポ少のマークとして、AとSを組み合わせてデザインしたものです。

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