真光寺 「十日講」

2004/8/26

  浄土真宗本願寺派(西本願寺)滋賀教区、高島組中組の平成16年度「十日講」が、
安曇川町南市の常照山眞光寺で営まれました。
 
  高島郡には、浄土真宗本願寺派の寺院が32ヶ寺あり、これら高島組の32ヶ寺を、鴨川以南の10ヶ寺を南組、鴨川〜安曇川の間の11ヶ寺を中組、安曇川以北の11ヶ寺を北組と言うように3組に分けております。そして「十日講」は毎年8月に、25日は北組、26日は中組、27日には南組の中で1ヶ寺が当番寺院となって、高島組の法中が参集し法要が営まれるものです。
  古く江戸の初期・1602年、徳川家康によって京都・烏丸に東本願寺が建てられ、東・西本願寺の分裂に発展しました。西本願寺の准如上人は、各地を御巡教されましたがある年、大津・打出の浜から琵琶湖を舟で海津を経て、北陸地方のご教化に向かわれました。あいにく湖上で暴風雨に遭われ、辛うじて今津に上陸されました。

 一行はご門主を筆頭に、役僧・坊官・その他多数の従者で、宿舎となった今津町中浜の泉慶寺は大混乱となりました。しかしながら准如上人は、到着されるや直ぐに本堂を参拝後、自ら導師となって正信偈(草譜)と御和讃(三首引)を勤められました。
  この事があって以来400年、この史実を機縁として毎年夏に法要が営まれるのです。ただ、8月10日はお盆の前でもあり、日にちだけは月末に変わっています。
  この法要のため、布教使が御使僧として本山から派遣されてお見えになります。今年は加古川組の鹿多証道師でした。
午前中、各寺の総代さんが数人ずつ出席され、総代会が開かれました。
  その間真光寺の役員は懇志を受けて、記念品をお渡しする受付の準備に忙殺されます。
頂いた懇志はその旨を書いて、本堂の縁側に張り出します。
総代さんは仕出し弁当でお接待 我々役員は、真光寺佛教婦人会有志の手料理で
 
 
午後は2時から、鹿多証道師を導師に読経(正信偈・三首引)が始まりました。


「ご消息」が真光寺・中西正良師から鹿多証道師へ
 天保11年(1840年)、西本願寺第20世門主・廣如上人は、この由緒あるご法縁をさらに連綿と後世に伝えて行くことを念願され、「ご消息」を下附されました。
 「十日講」の法要の中では、この「ご消息」の拝読と趣旨伝達が一番大事な行事なのです。

  この「ご消息」は、布教師の鹿多師をもってしても、滅多に詠まない御文章なので、その意味を考えながら読ませて頂きましたとおっしゃっておられました。

 続いて御使僧の鹿多証道師の法話が有りました。師は本願寺では布教師としてご活躍のほか、加古川では人権教育指導員や民生児童委員もされています。日本高校野球連盟審判規則委員として、甲子園の高校野球では審判部長を務められ、音楽から落語まで趣味が広くてお話も内容豊か。佛教音楽研修所指導委員もされているので、時には美声で歌まで唄って頂きました。



御初夜の部の導師は、真光寺住職の中西正良師。
昼の法話があまりに良かったからと、夜の法話にもう一度お出かけ頂いた方も、何人もおられました。



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