浅 ノ 腰

  正式な地番では、この田の小字名は八瀬町と言います。我が家で何故この田を「浅ノ越」と呼ぶのか、実は私にも分かりません。更に「浅ノ越」よりも此処は、田の畦にお地蔵さんが居られるため、「お地蔵さんの田」と言った方が、我が家では通りが良いのです。
  此処に友人の福田君が家を建てる事になり、同じ南市の吹田工業の手で工事が始まりました。と言っても私がこの田を売ったわけではなく、隣の田を買って宅地にする予定の福田君が、8〜11m x 120m程の細長い田では家が建たないと言うので、我が家の田と同じ面積で部分的に交換したものです。
  田の字で言えば、左上・左下が我が家の田。右上・右下が福田君の購入した田。この内の左上部分を福田君に譲り右下部分を我が家の田にします。これで田の字の上半分が福田君の宅地に、下半分が我が家の田になると言うわけです。東西に2枚並んでいた田で、西側が我が家で東側が福田君の田だったのが、交換後は北側が福田君で地上げして宅地になり、南側が我が家の田という構図です。
  これまで「浅ノ越」の田は南北に長く、しかも東と西側の畦が曲がっていて、トラクターでの耕起はもとより、田植えもコンバインの収穫作業でも、何をするにも三角が出来ていました。東側には小さなバチが出来、西側に至っては随分と大きな三角形が出来て、とにかく仕事のしにくかった「浅ノ越」の田が、この工事で心持ち東西に長い、殆ど四角な田になります。
  少し曲がった畦も西側だけになり、三方が直線で囲まれた田になりますので、耕起も田植えも東西方向にすれば、非常に仕事のやりやすい田に生まれ変わります。福田君の家はこの「浅ノ越」の田の北側に建つ予定です。順を追って写真を上へ上へと追加しますので、時系列で言えば一番下から見て頂くと、変化の様子が分かり易いかと思います。  2007年4月 記
 2007/10/18
  山田錦の刈り取りが急がれたので、浅ノ越ノ滋賀羽二重糯は少し遅くなって仕舞いました。佐千夫と交代でコンバインを運転し、フォークリフトで籾を運んで乾燥機に入れ、何とか無事に終了。
  昨年夏に頂いたヤンマーコンバインを、一年に1反歩だけの糯米専用に当てています。贅沢な様ですが、ウルチ米のコシヒカリなどと兼用すれば、どうしても米が混ざって具合が悪いのです。


  佐千夫が刈り取っている左半分が、今年から我が家の田に編入された部分。福田君の宅地になった部分から、作土を全部移動して貰ったのですが、乾土効果で稲の出来が良くて刈り取りに心配したほど。肥料屋のメンツに懸けても倒すわけにはいきませんので、この出来映えはまあ良かったと言えるでしょう。
 2007/10/10
  8日は大安。朝から雨模様でしたが、福田君の家の新築工事が始まり、棟上げが行われました。天候の回復を待って稲刈りをすべく、今日は畦周りの草刈りをしましたが、一部倒伏し始めてはいるものの滋賀羽二重糯は、穂も結構長くてまずまずの出来の様です。








 2007/9/22
  稲の方は例年通り9月5日頃に出穂し、順調に生育しています。路盤をさわり作土を移動させたので、長く伸びる滋賀羽二重糯は倒伏するかもしれないと心配しましたが、大丈夫な様です。




 2007/9/4
  福田君が家を新築するのに先立ち、自家水道の鉄管を打ち込む作業が8月末に始まりましたが、相当に地盤が固いからと、かなりの日数を掛けて打ち込んでいました。それだけ鍛冶屋村という所は住宅建築に適しているのかと、チョット誇らしい気分です。




 2007/6/19
例年通りこの浅の越の田には、滋賀羽二重糯を植えました。






 2007/5/8








 2007/4/24






 2007/4/19








 2007/4/13






 2007/4/12
 宅地になる「浅ノ越」の田の北半分に、土砂が入れられ造成工事が本格化してきました。余り急勾配にならない様に進入路を造っているので、写真奥に見える道路からかなりの距離があるため、宅地と田の高低差は2mにもなる予定です。








 2007/4/9
土の入れ替えが終わりました。
 移動した土と元の田の高さを比べるため、トラクターで耕起しました。工事をしている吹田君が言った通り、ほぼ同じくらいの高さになっています。同じ面積で土を移動しただけなので、当たり前と言えばそれまでですが。




 2007/4/6
以前の田を床まで削り取り、私の作っていた「浅ノ越」の田の、北側部分の土を移動。
上の写真で、奥の部分が「浅ノ越」の田の北側部分。此処に福田君の家が建つ予定です。
手前側が新しく我が家の田になるので、奥の方の土をこっちに移動して貰いました。
左側が新しく我が家の田になる部分で、右側奥と併せて新しい「浅ノ越」になります。
 2007/4/5


 作土を入れ替えるためユンボで削っているこの部分が、新しく我が家の田になります。
工事は吹田工業の、吹田薫君達の手で行われています。


 「お地蔵さんの田」と呼ぶのは、「浅ノ越」の田にはお地蔵さんがおられるからなのです。元は川の側にお祀りしていたのですが、川が少し西に移動したので道の側になりました。
 2003年、地蔵盆に間に合うように館を作りましたが、今回の工事で周りが少し高くなるため、嵩上げ工事をする事にしました。施主の福田君が玉泉寺のご住職の木村哲朗師をお願いし、供養をしてくれました。安心して館を少し修理した上、嵩上げ工事をしようと思っています。(2007/4/5)
施主の福田久司君 工事をしている吹田薫君





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