茨城から福島へ







2013/10/16(水)〜19(土)
 福島市在住で、アイコーハウジングセンターという工務店を営む派米農業研修同期の高橋君が、私が田の畦から水漏れするなどとこぼしたのを知って、大小二台のバックホーを持っているが小さい方は使わないので、良かったら使ってみないかと言ってくれました。 有り難い話ですが、福島まで取りに行くのはちょっと二の足を踏みます。何かいい方法は無いかなと、宮城や岩手辺りまで行っているのを知っていたので、モーターボート専門店?YESの安原賢君に、近々関東方面へ行く用事があれば福島まで足を延ばしてくれないか?と相談。
 折良く霞ヶ浦の近くまで、ボートを運ぶトレーラーを作るにの使う、鉄骨の長い部材を取りに行く用事があると言うので、同行して茨城経由福島まで一緒に行くことにしました。 16日、夜10時に出発。浜松まで賢君が運転してくれ、深夜2時半に交代して私は海老名サービスエリアまで運転。東京都内は道路事情に余り自信が無いので、その後は慣れている賢君。





まるで田植え直後の様に見えますが、全部蘖(ひこばえ)でした。

夜通し交代で運転したので、8時過ぎには牛久市に到着。
遠くに見えた牛久大仏は、何度も来ているが賢君も行った事が無いと言うので、
開園前だったのですが駐車場まで行ってみました。

牛久大仏は高さ120m総重量4000tだそうです。
YESのユニックの吊り上げ能力は2.33t。ちょっと力不足でした。


  トレーラーを作る部材の内、6mある鉄骨は運送屋が運んでくれないとの事で仕入れに来たのですが、此処で賢君の用事は終了。後は私の用事で福島まで、再び交代しながらのドライブでした。 高橋君は、バックホーを自分の2トンダンプに積んで待っていてくれ、賢君のユニック付きの積載車を後ろ向きにくっつけて積み替えました。夜は同じ農業研修仲間の神長倉君も加えて4人で会食。と言っても全部高橋君のおごりで、すっかりご馳走になりました。
 18日は、午前中に高橋君の資材置き場へ行って、福島原発の問題で米が作れない高橋君と神長倉君の一年分の飯米を保冷庫に入れました。君らが食べる分位はこっちで作るからと、昨年から送っています。と言っても向こうは遠慮して、私の作る米を買ってくれているのですが。 昼食までご馳走になってから福島を出発。磐越自動車道へ入ってから、ユニックのブームが後ろ向きにならないか試してくれたのですが、あとほんの5oほどの所で当たって無理でした。 フロントガラス越にウインチが見えるのですが、素晴らしい秋晴れでそれも気にならない快適なドライブ。富山の有磯海SAで交代し南条まで運転。家に帰ったのは夜中の1時20分過ぎでした。





資材置き場は高橋君の生家跡だとか。裏の山手を開墾し畑が作ってありました。
何と野菜のお土産まで貰って帰りました。


東北地方のハサガケ(杭掛け・棒掛け)は、写真で見たことがあるだけ。
実物を見るのは初めてですが、これで倒れない様に芯柱を立てるのは大変では?



磐越道を走っています。前方に見えるのは磐梯山。
山腹にある猪苗代スキー場には、冬季国体スキー競技会で京都府選手団の一員として、
昭和49年(総務)・平成7年(監督)と2度行った事が有るので、
雪の無い時期でしたが懐かしかく眺めていました。

  高速自動車道を深夜割引(何しろ5割引きですから)で利用するため、敦賀インターを12時過ぎに下りようと時間調整したので、帰宅したのは18日の深夜1時を回っていたのですが、10時前にはYESの賢君がユニック車にバックホーを積んだまま来てくれました。ユニック車とトラックの後ろ同士をくっつけ、30p程高さの違う荷台の上を私のダイナの方に移動。何しろ狭い車の上での微調整なので、運転にも非常に気をつかっているのが分かります。
  賢君のユニック車には、バックホーを下ろす為の歩み板が掛からないので、一旦コンバインを積み下ろししている我が家のトラックに載せ、改めてバックホーを地面に下ろしてくれました。 簡単に操縦を教えて貰ったので、試しに少しハウスの前の土を掘削。慣れれば何とか使えそうな感触で、稲刈りが終わったら早速あちこちの田で使おうと、とても楽しみにしています。




バックホーが完全にトラックに載ったとき、これで我が家の物になったと実感しました。
この格好でなら何処にでも行けそうです。

歩み板のたわみ具合から見ると、コンバインより軽い様です。


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