大峰山参拝


2003/8/9〜10
  8月9/10日、奈良県の大峰山の参拝しました。初めて行ったのが昭和30年、中学2年生の夏。父が先達で電車とバスを乗り継いで、大勢の「鴛鴦講」の仲間の人達との小旅行でした。次第に地元以外の私の親戚の参加者が増え、日程的にも土・日の方が良いと言うことになり、講の参拝とは別行動にして貰いました。近年は参加者も少なくなって近親者だけで登っています。今年は甥の萬木綱孝・綱次兄弟と彼らの父方の叔父で、私とは同年の萬木寛氏の4人での参拝でした。
  春先からの天候不順で梅雨明けも遅く、8日は台風10号が近畿地方を直撃。中心は夜中に琵琶湖の上を通過したらしく、かなりの量の雨も降りましたので、少し遅らせて3時に家を出発。それでも工事中だった広橋トンネルが完成していたり、思いの外道路も空いていたお陰で7時過ぎに洞川の「西清旅館」に到着。
  10日は朝6時に旅館を出て、写真を撮りながらゆっくりと登って、山頂の本堂に10時。例年通り護摩を焚いて頂いて、それぞれの家と親戚の家内安全を祈ったのですが、今年は先日亡くなってこの日が葬儀になる、私の農業研修生時代の農場主・タッド ササキ氏の永代供養もお願いしました。
  11時に下山開始。旅館で遅めの昼食をとり、陀羅尼助製造元の松谷清造さんのお店に立ち寄って、陀羅尼助や葛などのお土産を買って帰りました。お元気な松谷さんとお話しながら、美味しいお茶とお茶菓子をご馳走になり、来年も元気で寄せて頂く約束をして帰るのが、年中行事の締めくくりになります。
 本堂までの道半ばに、このお助け水が有ります。どんな日照り続きにも水が枯れることなく、旅人の喉を潤すと言うのが名前の由来。そしてこの石柱の題字は松谷さんの筆に依るものです。













南市・夏祭り 8月18日(月)
  南市の盆踊りは「十八夜」と決まっていて、以前は夜遅くまで踊りの輪が途絶えることは有りませんでした。近年になって様相がすっかり変わってしまい3年前の盆踊りでは、余りにも踊り手が少なくて寂しく、音頭を取っていた「音頭取り」の方から、こんなに寂しい盆踊りなら来年から音頭を取るのは嫌だと断られてしまいました。
  2年前、区長として盆踊りをどうするかと言うことから会議をし、区民の皆さんの協力で夏祭りに切り替えて見たのですが、予想以上の人出を見たある人が「何処にこんなに大勢の子供が居たんやろう」と言われた位で、大成功でした。今年は3年目で後半雨に降られましたが、非常に賑やかな夏祭りになりました。
会場入り口の行燈は2年前に私が作ったのですが、雨に濡れて文字が垂れてしまいました。
 18の隣組がそれぞれデザインをしてボンボリを作ります。2年前、夏祭りをしようと決めたとき、熊谷正弘君が提案し骨組みも自分で作ってくれたものです。5組のものは今年は組長の私が制作。実は思案に余って、5組の9軒の家の写真を撮って、プリントして作りました。
区長の伊藤善和さんのご挨拶。左は実行委員長の平井良明君。
 







明神さん 9月5日
 延命長寿の神として知られる白鬚神社の大祭へ、お参りに行きました。琵琶湖の中に鳥居が有ることでも知られていますが、私たちにとってはこの明神さんと明神碕が、高島郡の南の出入り口になり、とりわけ冬場にはこの辺を境にして天候は一変します。国道161号線とこの白鬚神社だけが、かろうじて琵琶湖と山の間に有って、風光明媚な所です。数え歳で2歳になる子供は、神社で名前を貰うためお参りするのがこの辺りの風習。本名の代わりに頂いた名前で3日間、子供を呼ぶと言うのがしきたりになっています。京都新聞のホームページに、甥の綱次君達が長男の綱平君に名前を授かっている場面が載りました。


  幾つものお社を解体修理しているのが、大村正寛棟梁。素晴らしい仕事ぶりにはいつも感心しています。屋根の銅板葺きまで全部一人でこなす、凄腕の大工さんなのです。


鵜川四十八躰仏



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