田中神社 例大祭


















2008/5/3〜4
  今年の田中祭は南市が当番区。3月に私の氏子総代の任期は終わったのですが後任が決まらず、1年だけの約束で引き受けました。実は田中神社の氏子総代の任期は3年で、南市区の場合はその初年度に、田中神社大総代を任される事になります。改選期を1年延ばして、渡し番の済んだ来年から氏子総代になれば、初年度は単なる南市区の氏子総代で2年目に神社副総代、そして3年目に田中神社大総代に就任する事になるのです。他の集落の場合は区長が大総代を務めますので、こんな問題が起こるのは南市区だけなのですが。
  3年前に氏子総代を受けたとき、何でいきなり大総代なんやと自分でも思ったのですが、これがなかなか後任の決まらなかった一因でもあるのでしょう。ともあれ今年は再び大総代を務めます。
  南市区が渡し番と言うことで、例によって佐千夫は使発走でご奉仕。孫の裕大も4才になり、鉦叩きで出ることにしました。娘婿の禎裕君も浴衣姿で裕大の付き添い。それならば頑張ってもう一度、我が家の馬の装束を出させて貰おうかと、急遽準備したのですが「アオリ」等は見あたらず、装束と鞍だけの中途半端な事になりました。
  それでも佐千夫は、宮元の区長を勤める同級生の親父さんから、「大総代の息子が役馬に乗るなんて聞いたことがない。凄いことや」と言われたと、非常に喜んでいました。親子三代が馬の装束と共にご奉仕出来たことを、幸せに感じています。

5月3日 午前8時〜
  使発走役でご奉仕する佐千夫は、流鏑馬役の佐野安博君と共に田中神社の神前でお払いを受け、佐野君は流鏑馬の帽子を授かりました。


  裕大達は朝早く岡崎の家を出発したのに、4連休の初日で小牧の辺りで大渋滞にはまっていると連絡が入り、間に合うかどうか心配しましたが、お昼前には無事到着。2時の傘鉾巡行に間に合わせるのに、裕大の着替えの方が手こずって、なかなか大変でした。


5月3日 2時〜 南市宵宮渡












5月4日 12時30分〜 傘鉾・流鏑馬巡行




  馬の衣装付けは白藤さんにお願いしました。平成2年に我が家の装束を出した時には、隣家の石松さんに付けて頂きました。「貞夫君、もう一度この装束を触らせてくれよ」と言って下さったのですが、その石松さんがお亡くなりになってからは、今では私の周りでは白藤さんしか衣装付けが出来ないのです。
  幸い白藤さんのお父さんは、我が家の父親と同級生で大の親友だった事もあり、しかも白藤さんは消防団時代の先輩。安曇川町の消防団長をしておられた頃、私が副団長でした。
  写真では分かりにくいかと思いますが、馬の付けている赤い装束と鞍は我が家のものです。
 








  佐千夫は、小学校6年生の時初めて使発走でご奉仕して以来、5度目の大役です。流鏑馬が宮巡りをし、神社石階段下で弓の手神事をして下がるとき、的をそれぞれ所定の位置に取り付けるのですが、今年は間違って使発走と一緒に再度上がって来ています。しかも3本の内の2本だけ。
  指示を出す役目を任された者には、「田中神社例祭に関する『祭祀制法約定書』の解説」を渡し、彼等も何度も何度も読み返して準備を重ねていたのですが、それでもこんな間違いが起こってしまいました。故事に則って間違いなく神事を執り行うのは、年々難しくなって来ています。

















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