田中祭りの諸行事

宵宮太鼓  
 夜9時半過ぎ、我が家に宵宮太鼓の皆さんが来てくれました。「伊勢音頭」を唄ったあとは「花嵐」で接待させて頂きましたが、初孫の裕大の誕生を祝って来て頂いたので、事情を知っている皆さんが、裕大に太鼓を叩かせてくれました。



宵 宮 参 り
 南市区宵宮太鼓保存会の皆さんが、田中神社に参拝。このあと南市区の中で、この一年間にお祝い事の有った家々を回ってお祝いをしてくれます。結婚・出産・家の新築・その他お祝い事なら何でも。
 




 神輿番を南市区の各組から一人ずつお願いしました。真ん中の3人で焚き火を囲み、朝五時まで拝殿に飾ってある神輿の番をして頂きます。

宵 宮 渡 し

傘鉾の飾り付け
 渡し番区の南市では朝早くから、傘鉾の飾り付けが始まりました。今年の傘宿は伊藤義雄氏です。義雄さんは大工さん。広い作業場で打ちかけや着物・帯三本を組んで、傘鉾を仕上げています。
 今年は南市区の中でも「中の組」が当番。従って中の組の評議員さんがこの役目に当たっています。傘鉾飾りの指導は、私の前任の南市区氏子総代を勤められた白井則茂氏です。

流鏑馬の装束準備
 同級生の熊谷市太郎君が、流鏑馬の使う矢の組み込みをしてくれました。役馬の装束は白藤喜代治さんにお願いしました。白藤さんは私の前任の安曇川町消防団長であり、副団長として8年近く一緒に活動させて頂きました。親同士が同級生で大の親友で有ったこともあり、若い頃から良く存じ上げている上、同じ消防団第一分団に属していたので、消防団での付き合いも長く、今回も快く引き受けて頂きました。



役馬乗りの神具受け
 流鏑馬に乗る西川雅章君と使発走の佐千夫が田中神社に参拝。区長の西川忠夫君と共に大総代として私も参列しました。雅章君はスキースポーツ少年団のOBでもあり、子供の頃からのスキー仲間。南市区長の忠夫君とは親戚の間柄です。

神輿飾り5月3日
 田中神社の宮元・馬場区の評議員によって、午前6時から神輿が神輿蔵から運び出され、8時半から神輿の飾り付けが行われます。


御神輿の制作年代は江戸時代とのことです。1時間あまりかかって御神輿の飾り付けが出来ました。

幟 立 て 5月1日
  5月4日に執り行われる例大祭のために、普通は2日前の5月2日に幟立てを行います。今年は1日が日曜日とあって、当番区の西川・南市区長から申し出があり、南市区の評議員が例年より1日早く幟立てを行いました。
 幟立てを終え盛り砂をし、草刈りを終える頃には雨が降り出してきました。夕方から雨が酷くなるとの予報も有り、1日早い幟立ては今年に限っては大正解だった様です。
 今年は渡し番区の「南市区」の幟が先頭に来ます。以下毎年順番が変わって立てられます。これは当番区である「渡し番」が毎年変わるためです。

幟立ての指導をお願いしている西川宗雄氏。


 神社の石段下には田中郷各集落の幟9本を立て、馬場尻には個人が奉納された幟2本を立てます。

 境内と参道、御旅所に幾つもの盛り砂をします。石段下には、例祭で流鏑馬が弓の手神事を行うため、アスファルト舗装の上に砂を置きました。
 田中神社での幟立てが終わってから、渡し番の南市区三役・評議員・宮守・氏子総代が協力して、祭礼で使う「的」や「カラチョ」作りをしました。南市区内に鎮座の惣社神社での幟立てを行い、小雨の中、昼を挟んで夕方近くまでの奉仕作業でした。
 「的」は社寺建築「匠」の大村棟梁から、毎年寄進されます。
 長さ2m40、太さビール瓶ほどの真竹に、的が組み込まれます。
 小雨の中、露払いのために「カラチョ」を作っています。

馬揃え湯立祭4月29日
 5月4日に行われる田中祭りには、準備のために色々な行事が執り行われます。4月29日午前9時から、馬揃えの為の湯立祭がありました。宮司と巫女と大総代の3名だけの祭典でしたが、湯立てのあとの湯釜からお湯を頂いて帰り、お祭り当日役馬の足に掛けて清める事になります。湯立てに使われた笹も頂いて帰り、例祭当日には南市の惣社神社(役馬の出発地点)で馬に食べさせる予定です。



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